正月いろは
「服忌」のこころえ
ご家族が亡くなったとき、一定の期間、身を慎みます。この期間中を「服忌」(ぶっき)「忌服」(きぶく)といい、神社への参拝、祭りごとへのさんか、お祝い事等を遠慮するのが一般的です。地域の習慣もありますが、下記の日数を目安にされたらよろしいでしょう。
一、服忌の期間に関すること
- 父母・夫・妻・子 ………………………………………………… 50日
- 祖父母・孫・兄弟・姉妹 ………………………………………… 30日
- 曾祖母・曾孫・甥・姪・叔父・叔母 …………………………… 10日
- その他の親族 ………………………………………………………… 2日
- 特に親しい友人知人 …………………………………………… 2日程度
- 配偶者に親族については、前項を一項ずつ繰り下げたに日数による。
但し前項エオについては服さない。 - 本葬・社葬などが右の期間を過ぎて行われた場合は、更にその当日のみ服する。
二、服忌中に関すること
- 地域における祭礼行事などへの参加を遠慮する
- 結婚式・宮参り・七五三祝等の人生儀礼への参加を遠慮する
- 喪家(弔いを出した家)にあっては、服忌中、神棚を白紙で覆い、神祭りを遠慮する。
- 喪家にあっては、神札をまつること以外の正月飾り、年賀状を含む年賀の挨拶などについては、当年度これを行わない。
- 服忌期間中に、新年の「お伊勢さま」「氏神さま」等の神札の頒布があった場合期間を過ぎてから神社に出向いてこれを授かる。
- 1、お神札(おふだ)とお守り
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古代の人は、さまざまな危険や災難から心身を守るために、石や骨、鏡や剣といった呪物(霊威をもつ物)を、身近に携えていました。 そうすることにより、神様のお力で心身を守れると信じられていたのです。のちにその呪物が時代とともに形を変えて、「お神札」や「お守り」となったのです。 もちろん古代と現代とでは、その内容も信仰の形も違います。
お神札は、家内安全や火災、疫病といった災厄からも私たちを守ってくれるもので、主に神棚にお祀りしたり、門口や柱に貼ったりします。お守りは、お神札を小型化したもので、木片や紙片に神社名が記されています。 それをお守り袋に入れて、常に身につけておきます。
お守りには、肌守りを始めとして、厄除や良縁、安産、交通安全、学業成就などを祈願した、さまざまな種類のお守りがあります。これらのお神札やお守りは、神職が神前にてお祓いと祈願を済ませたものを授与しておりますので、神霊の御分霊が宿ったものなのです。
お札お守りを受けられる時間
- 12月31日 9:00~17:00
- 1月 1日 0:00~21:00
- 1月 2日 9:00~20:00
- 1月 3日 9:00~19:00
- 1月 4日以降 9:00~17:00
- 2、破魔矢(はまや)・破魔弓(はまゆみ)
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お正月に神社に参拝した際に、破魔矢を受けられる方は多いことかと思います。破魔矢は正月の期間に社頭で頒布されている授与品の一つで、その年の干支の絵馬が付いたものがあるなど、一年間お飾りする縁起物となっています。
破魔矢の由来は、破魔弓と一式になったものであり、全国各地に見られる年占の際におこなわれた弓射を起源にするものともいわれております。これは各地区ごとに弓射を競い、勝った方がその年の豊作に恵まれるというもので、作物の豊凶をトするためにおこなわれてきました。
また、正月の男児の遊戯としても用いられていましたが、江戸時代以降、子供の成長の無事を祈る縁起物として、装飾を施した弓と矢が男児の初正月や初節供に贈られるようになりました(女児は羽子板)。その後、これが簡略化されて矢だけが魔除けとして、正月に神社で授けられるようになったと考えられます。
破魔矢はその名称の通り、魔を破り、災厄を祓う矢として信仰されています。上棟祭の折にも、鬼門の方角である東北と裏鬼門の方角である西南の方向に向けて、屋上に二張りの飾り矢を設けたり、鳴弦の儀と称して、神職が実際にこの方向に向けて弓射をおこなうのもこうしたことに基づくものです。
しかし、破魔という字を充てたのは後世のことであり、本来「ハマ」とは弓射に用いた丸い的のことで、各地に濱井場(はまいば)という地名が残るのも初春に「ハマ」を射た場所であることを意味したものとする説なども有ります(柳田国男「濱弓考」)
さて破魔矢の飾り方についてですが、神棚の上や床の間など清浄な場所に飾って戴ければ問題ありません。矢先の方角についても上棟祭の場合のように特に決められた方向はないかと思います。
- 3、 絵馬(えま)
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祈願または祈願成就の感謝の証として神社に奉納する、馬の絵を描いた額のことを「絵馬」といいます。 絵馬の形は、板の上部を山形にしたものが大半を占め、これにそれぞれの願い事を書いて奉納します。
日本では古くから、神さまの乗り物として馬が神聖視され、お祭りや祈願のときには、神馬(じんめ)といって生きた馬を神に奉納する風習がありましたが、その代わりとして、板に馬の絵を描き奉納するようになったのが絵馬の起源とされています。
絵馬が一般大衆に広まったのは、鎌倉時代以後のことです。 その頃から、馬の絵の他にもさまざまな動物(キツネやへビなど、お祀りされている御祭神と関わりのある動物)も描かれるようになりました。
さらに時代が下るにつれて図柄は多様化し、病気平癒を願う絵馬(例えば、目を病んでいる人のために目の絵が描かれている絵馬など)の他に、安産や子育てなどの絵馬が次第に増えてきました。
最近では入学祈願や就職、良縁を求めるための絵馬が増えています。
- 4、おみくじ
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お正月に神社に参拝した際に「おみくじ」を引き、今年の年回り(運勢)などを占われた方も多いかと思います。 一般的に「おみくじ」は、個人の運勢や吉凶を占うために用いられているわけですが、種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には、大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶という吉凶判断、金運や恋愛、失せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌なども載せられています。
そもそも占いとは、物事の始めにあたって、まず神様の御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れとも言えます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う粥占神事や、神社の祭事に奉仕する頭屋(とうや)などの神役を選ぶ際に、御神慮に適う者が選ばれるよう「くじ」を引いて決めることなど、古くから続けられてきました。「おみくじ」もこうした占いの一つと言えます。
「おみくじ」を吉凶判断の目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としてゆくことが大切なことと言えます。
凶などの「おみくじ」を神社境内に結んで帰る習わしもありますが、「おみくじ」を持ち帰って充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせたいものです。
大吉や大凶が出るとその反対になりやすいという説もありますが、これは「陰陽道」的な考え方の、「陽極まれば陰生ず、陰極まれば陽生ず」という言葉に由来されていて、大吉や大凶など対局にあるものはその逆方向に転じ易いということをあらわしています。吉であっても気をつけよ、凶であっても用心して誠実に事にあたれば必ず御加護がある、そうです。
おみくじは、むやみに境内の木々に結びつけると植物が傷みますし、景観を損なう心配もあります。「おみくじ結び所」へ結んでください!
よく質問される吉凶の順番は諸説有りますが当社はこのようにお話ししています。
大吉 >中吉 >小吉 >吉 >末吉 >凶 >大凶