安産 縁結び 厄除け 厄祓い 勝運上昇 「西野神社」

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神社施設

  1. 鳥居は何のために立っているのですか。その意味について教えて下さい。
  2. お賽銭について教えて下さい。また、賽銭箱に投げ入れることは神様に失礼にならないのですか。
  3. 神社の参道で見かける狛犬について教えて下さい。また、狐や牛の場合もありますが、なぜでしょうか。
  4. 神社の社殿の形にもいろいろありますが、その種類と成り立ちなどについて教えて下さい。
  5. 参拝の際に鳴らす鈴の意味などについて教えて下さい。
  6. 神社の境内で石燈籠を見ますが、庭園や寺院等にあるものと形などに違いがあるのでしょうか。
  7. 神社の屋根には、交差している二本の板木や丸太状の飾り物がありますが何故でしょうか。
  8. 神社の境内には本殿の他に小さな社が多く見られますが、これらの社について教えて下さい。

鳥居は何のために立っているのですか。その意味について教えて下さい。

日常、私たちが神社にお参りするとき、まず、鳥居を目にします。鳥居は神社を示し、また神社の神聖さを象徴する建物ともいえます。鳥居は神社の境内と境外を分ける境に立てられ、鳥居の内は神様がお鎮まりになるご神域として尊ばれます。また、特定の神殿(本殿)を持たず、神体山など自然物をご神体、または依代としてお祀りしている神社の中には、その前に鳥居が立てられ、神様の御存在を示顕するものとして尊重されております。

鳥居の起源については,天照大御神が天の岩屋にお隠れになった際に八百万の神々が鳥を鳴かさしめましたが、このとき鳥が止まった木を鳥居の起源であるとする説や、外国からの渡来説などがあります。

鳥居は、その材質・構造も多種多様に及び、それぞれの神社により形態が異なります。一説には六十数種類の形態があるとも言われており、代表的なもとしては、鳥居上部の横柱が一直線になっている神明鳥居と、この横柱の両端が上向きに反っている明神鳥居があります。この他、形態では明神鳥居の横柱上部に合掌形の破風のついた山王鳥居や、また丹塗りの稲荷鳥居など特徴的なものがあります。

起源や形態など様々ではありますが、鳥居を見ると神聖さを感ずるのは、我々日本人の共通認識ではないかと思います。

  • 神社新報 『神道いろは』より転載
  • 平成十年一月二十六日
  • 第二四四五号

お賽銭について教えて下さい。また、賽銭箱に投げ入れることは神様に失礼にならないのですか。

お賽銭の意味や起源には諸説あります。現在では神社にお参りするとき、お賽銭箱に金銭でお供えしますが、このように金銭を供えることが一般的になったのは、そう古いことではありません。

元々、ご神前には海や山の幸がそなえられました。その中でも、特に米を白紙で巻いて包み「おひねり」としてお供えしました。

私たちは祖先の代より豊かな自然に育まれて暮らし、秋になるとお米の稔りに感謝をして、刈り入れた米を神様にお供えしました。こうした信仰にもとづき米を「おひねり」としてお供えするようになったのです。しかし、貨幣の普及とともに、米の代わりに、金銭も供えるようになりました。

そもそも米は、天照大御神様がお授けになられた貴重なものとされ、人々はその大御恵(おおみめげみ)を受け、豊かな生活を送ることができるよう祈ったのです。現在でもお米をお供えする方もいますが、金銭をお供えすることも、この感謝の気持ちには変わりありません。

お供え物を投げてお供えすることには、土地の神様に対するお供えや、祓いの意味があるとも言われております。しかし、自らの真心の表現としてお供えすることなので、箱に投げ入れる際には丁重な動作を心掛けたいものです。

  • 神社新報 『神道いろは』より転載
  • 平成十年二月九日
  • 第二四四七号

神社の参道で見かける狛犬について教えて下さい。また、狐や牛の場合もありますが、なぜでしょうか。

神社にお参りすると参道の両脇に一対で置かれた石造の狛犬を見かけます。神社境内のことを語るとき、鳥居と並んでまず思い浮かべるほど、狛犬は神社にとって一般的なもとなっています。

普段、私たちは石造のものを多く目にしますが、この他に、社殿内に置かれる木造や陶製のもの、金属製のものなどがあります。狛犬は高麗犬の意味で、獅子とともに一対になって置かれているとする説もあり、その起源も名称が示すように渡来の信仰に基づくもので、邪気を祓う意味があるといわれています。

神社にあるのが一般的ですが、寺院でも稀に置かれることがあり、東大寺南大門のものが石造としては我が国最古のもとされています。また、宮中では几帳(きちょう)の裾に置く重石(おもし)として木造の狛犬を用いていたようです。

神社によっては狛犬ではなく、狐や牛などの場合もあります。狐は稲荷神社、牛は天満宮に見られ、共にお祀りされている神様の神使(お使い)であるとされています。狛犬の表情は神社、あるいは地域によって実に様々です。各地の神社を訪れた際に、いろいろな表情をした狛犬を眺めることもお参りをする楽しみの一つとなるのではないでしょうか。

  • 神社新報 『神道いろは』より転載
  • 平成十年四月十三日
  • 第二四五五号

神社の社殿の形にもいろいろありますが、その種類と成り立ちなどについて教えて下さい。

各地の神社をお参りすると、それぞれの神社で、社殿(本殿)の様式が異なっていることに気が付きます。建物自体,細部まで見るとその違いは多数に及びますが、大きく見てその様式を二つに分けることができ、一つは倉庫の形から発達した「神明造り」であり、もう一つは住居の形から発達した「大社造」となっています。

「神明造り」とは、伊勢の神宮を代表として見られる様式で、切り妻造りの様式で屋根(棟を境に本を開いたように屋根が両側に流れている)の棟と平行の側に入り口がある平入という形になっています。中でも伊勢の神宮は掘建柱の切り妻造平入茅葺の様式で、特に唯一神明造と称します。此の神明造より派生したものとして、全面の屋根が長くのびて向拝(参拝者のための麻廂)となっている「流造」や、切妻平入の建物が二棟接続している「八幡造」などがあります。

もう一つの「大社造」は、出雲大社に代表される様式であり、切り妻の屋根の側面、つまり破風(はふ)の見える方に入り口があるため、妻入と言います。この大社造の流れを汲むのが、住吉大社の「住吉造」や春日大社の「春日造」です。

このほか本殿・幣殿・拝殿が連結した構造で、屋根の棟数が多く複雑になっている「権現造」、拝殿の上に流造の本殿が乗り重層の構造となっている「浅間造」など、地域やの信仰により社殿形式は様々ですが、その時代の建築技術の粋を集めた物であることは確かです。

  • 神社新報 『神道いろは』より転載
  • 平成十年五月二十五日
  • 第二四六一号

参拝の際に鳴らす鈴の意味などについて教えて下さい。

多くの神社には、拝殿の中央、ちょうど賽銭箱の真上あたりに、銅や真鍮製の大きな鈴が吊られており、この鈴に添えて麻縄や、紅白・五色の布などを垂らして、参拝者はこれを振り動かして鈴を鳴らし、お参りをします。神社によっては神仏習合の影響により、鈴の代わりに鰐口(わにくち)が設けられている場合もあります。社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに祓い清め、神霊の発動を祈願するものと考えられています。

また、巫女が神楽舞を舞う際に用いる神楽鈴も、社頭の鈴と同様の意味によるものです。古くは巫女が神楽を舞うことにより神懸かりして人々に神の意志を伝えており、このために必要なものとされていました。

今日では巫女による神楽舞が優雅な形に定められ、神懸かりというより神慮を慰めるものとしての意味合いが強くなり、神楽舞の後に参拝者に対しておこなわれる鈴振り行事は、祓い清めの意味を有するものということができます。この他、御守などの授与品に鈴が用いられるのは、魔除けや厄除け開運のためともいわれています。

『古語拾遺』には、天石窟戸(あまのいはやと)にお隠れになられた天照大御神の心をひくための歌舞の技の折、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が鈴を付けた矛を持って舞ったことが記され、宮中では天皇陛下が天照大御神を御親拝なされる際に、女性で祭祀を掌る内掌典(ないしょうてん)が、御鈴を鳴らして奉仕することがあるように、神事における鈴振りは今日まで重要な意味を持っていました。

江戸時代の国学者である本居宣長は自らの号を「鈴屋(すずのや)」と称して、「鈴の屋とは、三十六の小鈴を、赤き緒にぬきたれて、はしらなとにかけおきて、物むつかしきをりをり引きなして、それか音をきけは、ここちもすかすかしくおもほゆ、そのすすの歌はとこのへにわかかけて、いにしえしぬふ鈴か音のさやさや」とその命名を述べておりますが、その美しき音色は神人共に和ませるものということができます。

  • 神社新報 『神道いろは』より転載
  • 平成十三年六月十一日
  • 第二六〇四号

神社の境内で石燈籠を見ますが、庭園や寺院等にあるものと形などに違いがあるのでしょうか。

神社に設けられる石燈籠は、単なる照明のためのものではなく、神の御加護をより一層強く願うため、神前に灯明を点すことを目的に祈願者から奉献されたものです。

石燈籠は古代に大陸から伝わってきたものであり、本来、寺院の堂前に立てられて、御本尊に献灯するためのものでしたが、日本においては平安時代以降、神仏習合の影響により、寺院のみならず神社の社頭にも取り入れられるようになってきました。

元々は社殿の正面中央に一基立てられていたものが、後世には左右一対の形で多数たてられるようになりました。

このような意味を持つ石燈籠が、庭園にも設けられるようになったのは、安土桃山時代からです。茶の湯の発達とともに、茶庭の照明と添景を目的に、風雅な装飾調度として用いられるようになりました。このため、それまで八角・六角型で下部より上部に向かって、基礎(地輪・ぢわ)・竿・中台(請台・うけだい)・火袋・笠・宝珠といった形式を基本に作られていたものが、大きく変化して新たな庭園用石灯籠が作られるようになっていきます。

例えば、背丈が低く、笠が大きく外方に広がった短い三本脚の雪見灯籠や、自然石を積み上げた素朴な形の山灯籠、茶人古田織部の墓にあった石灯籠を模した織部灯籠などさまざまな庭園用の形を見ることができます。

さて、社寺に設けられる灯籠にも各時代による変遷や、地域性によるものなど各種の形があります。その中でも神社の灯籠として一般的な形といえるのが春日灯籠です。奈良の春日大社に立てられている石灯籠の形式のもので、背丈は高いのですが笠は大きくなく、笠の先端部分には蕨手(わらびて)があり火袋は六角か四角のもので模様などが彫られています。

これに対して、寺型といえるのは、宝珠を支える請花や、中台、基礎の部分が蓮の花をかたどっていたり、五輪塔の形を模したものなどです。しかし、寺院に春日灯籠が立てられていたり、神社に織部灯籠が設けられている事例もありますので、必ずしも厳密な区分がなされているというわけでもありません。

  • 神社新報 『神道いろは』より転載
  • 平成十三年七月九日
  • 第二六〇八号

神社の屋根には、交差している二本の板木や丸太状の飾り物がありますが何故でしょうか。

御質問の神社の屋根に交差して伸びている二本の板木を千木(ちぎ)といい、水平に並べて置かれた丸太状の木を堅魚木(かつおぎ)といいます。

千木は屋根を作る際、左右側面の破風板が左右より交差して伸びたもので、交差した先端をそのまま残したものです。「大祓詞」の中には、「高天原に千木高知りて、皇御孫之命(すめみまのみこと)の瑞(みず)の御殿(みあらか)仕え奉りて」と、皇孫である天皇のため、千木が高く聳えた立派な御殿を設けることが記されているように象徴的なものともいえます。

堅魚木は強風から屋根の葺きを守る押さえとして置かれた木で、勝男木や鰹木とも書かれます。この名の由来はその名の通り、形状が鰹節に似ていることから付けられたともいわれています。その本数も神社によって異なります。

千木・堅魚木とも古代の建築様式を現代に伝えるもので、皇族や豪族の住居に用いられましたが、現在では神社社殿の他、関係の建物のみに見られるものとなっています。後には装飾的な意味が強まり、千木などは置千木と称して、破風板の延長ではなく、屋根の上に別途に取り付けられるようにもなりました。

また、千木の先端を水平に切ったものを「内削ぎ」、垂直に切ったものを「外削ぎ」といい、堅魚木も偶数の場合と奇数の場合があります。千木が内削ぎで堅魚木が偶数の場合、女性神を祀り、外削ぎで奇数の場合は男性神を祀るなどとする説もありますが、全てにこのことが当てはまるわけではありません。

千木・堅魚木が設けられている神社社殿の事例としては、伊勢の神宮に代表される神明造や出雲大社の大社造などを挙げることができます。ちなみに伊勢の神宮では天照大御神を祀る内宮が、千木が内削ぎで堅魚木が十本、豊受大神を祀る外宮が、外削ぎで九本となっています。また、出雲大社の場合は外削ぎで三本となっています。

  • 神社新報 『神道いろは』より転載
  • 平成十四年十一月二十五日
  • 第二六七三号

神社の境内には本殿の他に小さな社が多く見られますが、これらの社について教えて下さい。

神社の境内にある小さな社は摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)といいます。摂社は文字通り、本社に摂せられる神社の意味であり、また、末社も本社に対する本末の意味で、現在では特に両者を区分する規定はなく、本社の管理下にある小規模神社の呼称として用いられております。

戦前の旧官国幣社においては、摂社と末社を区分する基準が設けられました。摂社に該当する条件として、まづ、本社御祭神の荒魂や后神・御子神を祀った社の他、御祭神と関係のある神や現社地の地主神など特別な由緒がある社となっておりました。こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は末社より上位に置かれていました。

現在でも摂社・末社の呼称は、戦前の基準による区分をそのまま用いていることがありますが、特に本社との由緒の深い神社には摂社の呼称が用いられています。摂社・末社については、本社と同一の境内地で祀られている境内社と、違う社地で祀られている境外社といった区分にも分けることができます。

この他、伊勢の神宮や京都の石清水八幡宮などでは、特に本社御祭神と関係の深い社を別宮と称しています。

伊勢の神宮においては、内外両御正宮の他に、これにつぐ尊い社として両宮それぞれに別宮があり、『延喜式神名帳』に載る式内社が摂社、『延暦儀式帳』に載る社が末社、両書に記されていませんが神宮との密接な関係により古くから祀られてきた社が所管社と称されています。

「伊勢の神宮」とは、両御正宮の他、別宮・摂社・末社・所管社を含めた百二十五社の社の総称をいいます。

  • 神社新報 『神道いろは』より転載
  • 最終回
  • 平成十五年三月二十四日
  • 第二六八八号

西野神社

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