神棚 お札
- 神棚をお祀りするときに南向きか東向きにするのは何故ですか。
- 神棚のえらび方を教えてください。
- 注連縄(しめなわ)の意味と掛け方を教えてください。又注連縄に垂らす紙垂(しで)にはどのような意味があるのでしょうか。
- 神棚の左右に榊(さかき)を立てますが、なぜ榊なのですか、また、榊のない地域ではどうすればよいのですか。
- 神棚を祀る際に必要な祭器具と、お供えの仕方を教えてください。
- なぜ、毎年暮れになるとお神札を新しくするのですか。また、古いお神札はどのようにすればよいのですか。
- 年末年始に氏神さまから頒布される神宮大麻について教えてください。
- 神宮大麻は薄紙で包まれており、字がはっきりと見えませんが、これはどういうことでしょうか。
- 毎年年末に、神宮大麻や氏神札とともに、竈神の御神札を受けておりますが、竈神とはどのような神様なのですか。
- 神宮大麻(じんぐうたいま)の歴史などについて教えて下さい。
神棚をお祀りするときに南向きか東向きにするのは何故ですか。
神棚を祀る時は、一般的に南向きか東向きにお祀りします。しかし、西向きや北向きがいけない理由はありません。これは我々日本人の方角に対する考え方をみてみる必要があります。まず、東と西は、日が昇り沈む方角であり、日々の繰り返しの中から、重要なる方角として尊んできました。つぎに、南と北の方角は、中国では「天子は南面する」いう語に現れているように、北に在って南に向かうことが君主の地位を象徴するものとして尊ばれてきましたが、我が国でも、この思想的影響を受けながら、古くから祭りなどを中心としたさまざまな儀礼の場において、特に重要な方角として考えられてきました。
現在、我々が家庭において神棚を設けるときには、こうした考え方に基づき、日が昇る東向きか、陽光が最も降り注ぐ南向きを原則に、家中で最も清浄な場所を選んでお祀りします。これは、神棚が家族や家庭の守りの中心として重要であるからです。
神社もこれと同じように、一般的に南向きか東向きに建てられていることが多いようです。しかし地勢的問題やその神社の特別な由緒から西向きや北向きに建てられることもあるのです。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成九年九月二十九日
- 第二四三〇号
神棚のえらび方を教えてください。
家庭において、神社から戴いてきた神札を納めてお祀りするのが神棚(宮型)です。神棚には様々な種類のものがありますが、伊勢の神宮の御社殿の形式である神明造のものが一般的な形態です。外にも屋根を省いた箱宮型があります。
その中でも、御扉が一つの一社造のものや三つの三社造のものがあり、一社造の神棚には手前から神宮大麻、氏神様、崇敬神社の神札の順で重ねて納め、三社造のものは神棚の正面に神宮大麻、向かって右に氏神様、左に崇敬神社の神札を納めます。このほか、屋根に檜皮葺きや茅葺きなどが用いられるなど材質の違いや細かな装飾などを含めると無数に及びます。
しかし、実際に神棚を選ぶとき重要となるのは大きさです。部屋の広さに応じて棚板を設けますが、棚板の横幅と奥行きの寸法、また、天井までの高さを測り、これに相応しいものを選ぶ必要があります。お供えや榊立てを載せるスペースも考慮しなければなりません。
初めて神棚を設ける場合や、事由により古い神棚を取り外し新しい神棚を設ける場合には、神職にお願いをして清祓し、神棚のお祀りを行う必要があります。このため、神棚を選ぶ際もお祀りを行っていただく氏神様の神職のかたに相談してみるのがよいかと思います。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成九年十月十三日
- 第二四三二号
注連縄(しめなわ)の意味と掛け方を教えてください。又注連縄に垂らす紙垂(しで)にはどのような意味があるのでしょうか。
注連縄とは、神社の社殿屋鳥居、御神木、また神域や祭場など の周囲に張り巡らす縄のことで、注連縄を張ることにより、其の内が神聖・清浄であることを示しています。これに垂らす紙垂も同様に神聖・清浄であることを示しているのです。
注連縄は、七五三縄や標縄、または締縄など読みは同じでも、多くの表記があります。藁をなって作るのですが、一般の縄と区別するために特に縄目を左ないにします。
家庭の神棚によく用いられる注連縄は、大根注連(だこんじめ)牛蒡注連(ごぼうじめ)とよばれ、一方(元)が太く一方(末)が細いもので、これを神棚に掛ける場合、一般には、元を向かって右に、末を左にします。紙垂は、同音表記で四垂とも書きますし一字で垂れ(たれ)とも記します。半紙や奉書紙など紙片裁断し、折ったもので、その裁ち方や折り方は流派などにより、いくつかの形式があります。我々が注連縄を目にするのは、神社の境内に於いてですが、大相撲の土俵入りの際に、横綱が、紙垂を垂らした廻(まわし)を締めているのを見かけます。此は四股を踏む横綱が邪鬼を鎮めることができる神聖な存在と考えられてきたためです。
このように注連縄は、神事に関わる場において邪気や災禍を避けるために用いられてきました。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成九年十月二十七日
- 第二四三四号
神棚の左右に榊(さかき)を立てますが、なぜ榊なのですか、また、榊のない地域ではどうすればよいのですか。
榊といへば、現在は一般的にツバキ科の常緑樹のこといいます。しかし古くは、常緑樹の総称としても使われていました。常緑樹は冬季でも枯れることなく、常に青々とした葉が生い茂り、古来からこの樹木によせる特別な信仰がありました。青々生い茂る樹木は、いわば生命力の象徴でもあり、また正気を宿するものとも考えられ、玉串としてご神前にお供えしたり、お祓いに使ったり、さまざまな神事に於いても古くから用いられてきました。
記紀神話にも、八百万の神々が、天の磐戸にお隠れになった天照大神に対して、天香山の五百箇眞板樹(いほつのまさかき)に玉・鏡・幣を掛けて祭事をおこなったことや、神武天皇の段では、丹生(にふ)川上の眞板樹をもって、諸神を祭ったことが記されており、神聖なご神木として重視されていることが窺えます。一方、榊の植生していない地域では、同じツバキ科のひさかきを用いたり、杉や樅、樫などを用いたりします。また、正月、年神様をお迎えするために玄関に門松(松飾り)をお飾りするように、松の木もご神木として重視されるなどしています。これらのことからも、家庭の神棚には、常に新鮮な榊をお飾りするよう心がけたいものです。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成九年十一月十日
- 第二四三六号
神棚を祀る際に必要な祭器具と、お供えの仕方を教えてください。
神棚には通常、お米・お塩・お水・御神酒をお供えします。この場合、お米やお塩は平瓮(ひらか)、お水は水器、お酒は瓶子(へいし)という白色陶器の祭器具が用いられます。
また、魚・乾物・野菜・果物などのお供えも、その大きさに合わせた平瓮に盛ります。そして、これらのお供えをさらに三方や折敷に載せてお供えするのが一般的です。
このほか、宮型の前に置く神饌や、榊をお飾りする榊立て、神前を明るく灯すための神灯(ロウソク立てや、電灯式など)が用いられており、いずれも神具店で求めることができます。また祭器具は、神棚に用いるものであることを留意し、清掃や清浄といった取り扱いにも、一般の物と分けて扱うようにします。
次に、お供えの仕方ですが、我が国では古来より、中央である正中(せいちゅう)を尊ぶため、神棚にお供えする際にも、お米を中心とし、向かって右に御神酒、左にお塩・お水をお供えします。ただし、棚板のスペースに応じては、一つに纏めてお供えしてもかまいません。
お米や御神酒など日常のお供えはもちろんですが、その他、季節の初物や、戴き物など珍しい食物も、神棚に、お供えしてから、家庭で召し上がるように心掛けたいものです。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成九年十一月二十四日
- 第二四三八号
なぜ、毎年暮れになるとお神札を新しくするのですか。また、古いお神札はどのようにすればよいのですか。
新しい年を迎へるにあたり、神棚をきれいに清掃して、新たに神社から受けたお神札を神棚にお祀りします。
神社から受けるお神札には、伊勢の神宮のお神札である神宮大麻、氏神様のお神札、台所にお祀りする竈神様などがあります。年の区切りにあたるこの時期に、神社より新しいお神札を受けることにより、御神霊の力、恩頼(みたまのふゆ)を戴き、新しい年も家内が無事であるように祈念します。今までお祀りしていた古いお神札は、過去の一年が無事過ごせたことを感謝し、神社にお礼参りをして納めます。このお神札は神社でお焚き上げされます。地域によっては左義長(さぎちょう)や、どんど焼きと称しているところもあります。
我が国には古来より、親から子、子から孫へと、脈々と続く生命の繋がりを尊び、これを発展的に未来へ受け継ぐという考え方があります。こうしたことは、例えば伊勢の神宮でも、二十年ごとに社殿を造り替えます。その他の神社でも社殿を新造することにより、更なる御神威の発揚が図られてきました。
私たちが毎年、神棚のお神札を新しくするのも、まさにこうした考え方によることなのです。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成九年十二月八日
- 第二四四〇号
年末年始に氏神さまから頒布される神宮大麻について教えてください。
年末年始に氏神さまからいただくお神札には、氏神のお神札の他に伊勢の神宮のお神札である神宮大麻(じんぐうたいま)があります。
伊勢の神宮は、皇室の大御祖神(おおみおやがみ)である皇祖・天照大御神をお祀りする神社であり、氏神がその地域をお守りになっている神様であるなら、神宮は日本全国をお守りいただいている総氏神であるわけです。ですから、例えば氏神の神社が天照大御神をお祀りしている場合であっても、神宮よりのお神札は皇祖神としてお祀りするため、氏神のお神札とともに神宮大麻もお祀りするのです。
神宮大麻の起源は平安時代末に遡ることができます。元来、神宮は私幣禁断(故人の私的な祈願は行わない)の神社でしたが、諸国を巡った御師(おんし)の活躍にもより、広く一般の崇敬を集め、神宮大麻の頒布も全国に広がってゆきました。の大皇祖神の大御恵(おおみめぐみ)をいただくため大御璽(おおみしるし)として頒布されてきたのです。
また大麻という名称は、神社でお祓いを受ける際に用いられる大麻(おおぬさ)からきたものであり、神宮大麻を頒布した御師の間でも「御祓」や「お祓いさま」といった通称が用いられていたことなど、ご神前に進む際の参拝の清浄なる心持ちを表した事と考えられています。
毎年、さらなる恩神威の発揚を願うためにも、神宮大麻も新たに取り替えてお祀りしましょう。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成十年十二月十四日
- 第二四八七号
神宮大麻は薄紙で包まれており、字がはっきりと見えませんが、これはどういうことでしょうか。
この薄紙は、各家庭に届き神棚に納められるまで、消して汚れることがないよう神宮大麻の上包みとして施されているものです。ですから、この薄紙は、神棚にお祀りする際に取り除いても差し障りありません(『神宮大麻・暦についてのQ&A』神社本庁)。
神宮大麻の奉製から頒布に至るまでは、伊勢の神宮において、まづ年始めにその年の大麻奉製を始めることを大御前に奉告する大麻暦奉製始祭より、大麻用材伐始祭、大麻暦奉製終了祭、そして大麻修祓式をおこない、神宮大麻を祓い清めます。
また、その年の大麻と暦の頒布を開始することを大御前に奉告する神宮大麻暦頒布始祭と、無事に終了したことを奉告する神宮大麻暦頒布終了祭がおこなわれ、各都道府県の神社庁や各神社においても大麻暦頒布始祭終了祭がおこなわれます。
各家庭への神宮大麻頒布は、氏神神社の神職や総代・世話人がおこないますが、いづれもお伊勢様と各家庭とを結ぶ重要な奉務であることを心して奉仕しており、神宮大麻を受ける家庭においても単なる物品の授与とはせずに、折敷やお盆にて戴くのがより丁重であると言えます。
神宮大麻は、我々日本人の御祖神である天照大御神の御神徳を仰ぎ、その御神恩に奉謝するために祭る大御璽(おおみしるし)です。このため奉製から頒布に至るまで常に清浄であることに心がけてお取り扱いがなされているのです。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成十二年五月十五日
- 第二五五三号
毎年年末に、神宮大麻や氏神札とともに、竈神の御神札を受けておりますが、竈神とはどのような神様なのですか。
年末年始に、神社社頭や神職や氏子総代の手により、新年に家庭でお祀りする御神札一式を頒布しますが、この中に竈神(かまどがみ)の御神札が含まれていることがあります。
竈神は、荒神(こうじん)・三宝∧方∨荒神・釜神(かまがみ)・火の神などさまざまな呼称があり、主に竈(かまど)を中心とした各家の火所にお祀りされる神様です。
食物の煮炊きに用いられる竈は、通常一軒に一カ所であったため、竈はその家を象徴するものと考えられました。分家することを「竈を分ける」などと言うのも、こうしたことによるものです。
竈のこうした意味により、竈の守りとして祀られる竈神は、単に火や火伏せの神としての御神格だけではなく、農作の神やその家の富や生命など生活全般を司る神として広く信仰されるようになりました。屋内の場合、竈の近く(現在では台所など)に神棚を設けて、御神札や幣串を納めて祀るのが一般的ですが、地域によっては竈神の形相を表した面を祀ったり、松や榊などを竈神の依代(よりしろ)とする事例なども見ることができます。
さて、竈神の具体的な御神名ですが、『古事記』に大歳神の子として「奥津日子神(おきつひこのかみ)、次に奥津比売命(おきつひめのかみ)、またの名は大戸比売神(おおべひめのかみ)。此は諸人のもち拝(いつ)く竈神なり」とあるように、奥津日子神・奥津比売命の二柱の神、若しくは大歳神を合わせた三神が竈神とされています。
竈神が不浄を忌むことから火の清浄を保つため、神祭りや葬祭などには別火を用いたり、年末大晦日に竈火を新たにして竈祓いの行事などをおこないます。竈そして火を神聖なものとして扱う信仰をみることができます。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成十三年十二月二十四日
- 第二六二九号
神宮大麻(じんぐうたいま)の歴史などについて教えて下さい。
神宮大麻とは伊勢の神宮から年毎に全国に頒布されるお神札のことです。神宮大麻がいつ頃から頒かたれるようになったのかは明確ではありませんが、平安時代末から鎌倉時代にかけて、御師(おんし)という、神宮に仕えた祠官より配布された「御祓(おはらい)大麻」が始まりであるとされています。
御師たちは神宮の神領を中心に全国各地へと赴き、神宮の崇敬を一般に広めるとともに、「檀那(だんな)」「檀家(だんか)」と呼ばれた崇敬者の御祈祷をし、その「しるし」として御祓大麻と呼ばれるお神札を授与しました。
この御祓大麻とは、お祓いをした大麻(幣帛)を箱型の箱祓や剣先の形をした剣御祓に納めたものです。また「数祓」といって幾度となく祓いをすると清めの力が増すとの信仰により、一万度祓・五千度祓といった御祓大麻が頒布されるようになりました。神宮大麻を祓いのための祓具とする考えがあるのもこうした歴史的な事情に基づくものです。
こうした御師の精励により、江戸時代中期には全国の総世帯数の約九割に大麻が頒布されていたそうです。また、各地に伊勢講と呼ばれる崇敬組織もつくられ、交通事情の発達により庶民の間でお伊勢まいりが盛んとなります。
明治時代以降、神宮に関する制度が一新され、従来の御師による大麻頒布に代わり、神宮司庁が大麻の奉製・頒布をおこなうこととなりました。これに伴い、大麻の体栽も「天照皇大神宮」の御神号に御璽が押捺された現在の形に、また名称も「御祓大麻」から「神宮大麻」へと改称されます。
当初、実際の神宮大麻の頒布は、各府県の地方庁に委託され、区長から神職・氏子へと授与されておりましたが、大教宣布運動の行き詰まりなどにより、神宮教院、神宮奉斎会、次いで全国神職会(後の大日本神祇会)への委託へと移行していきました。
昭和二十一年、神社本庁が設立されると斯界の総意により、本庁が神宮大麻頒布の委託を受けて、それまでと同様に全国の神社を通じて各家庭に頒布される体勢が整えられました。
本年は神宮司庁から神宮大麻が頒布されるようになってから百三十周年を迎えました。神宮のさらなる御神徳宣揚のためにも、大麻頒布の意義を改めて認識し、お祀りすることが大切であるといえます。
- 神社新報 『神道いろは』より転載
- 平成十四年六月二十四日
- 第二六五三号