安産 縁結び 厄除け 厄祓い 勝運上昇 「西野神社」

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人生のまつり

親から子へ
今、大切な生命のかたち

日々の営みの中で、互いの無事を願い、喜びをわかち合う人生節々のまつりは、私たちにあらためて、親子の絆と生命のつながりを実感させてくれます。
このホームページが、人生儀礼に込められた願いと、意義を見つめ直す一助になればと願っています。

令和7年厄年・年祝い一覧表はこちらです

         

のし袋
のし袋の選び方、表書きの書き方など慶事、弔事それぞれ解説しています。

のし袋

着帯の祝いと安産祈願

安産

子宝に恵まれたことを神さまに感謝し、妊娠5ヶ月の戌の日に着帯の祝いを行います。
戌の日が選ばれるのは、犬の安産にあやかるためと言われ、妊娠は赤ちゃんが岩のように丈夫に育ちますようにとの意味の込められた「岩田帯」をします。そして、母体の安全と無事に赤ちゃんが生まれてくることを願って安産祈願をします。

  1. 地方によっては、産土さまに安産祈願のお参りをした時に、境内にある小石を持ち帰ってお守りにし、お七夜が過ぎると元の場所にもどしに行く風習があります。
  2. 当社では、お祀りする神さまの、安産の御神徳をいただき、安産祈願におこしの皆さんに『安産狛犬』を授与致しております。これを出産まで神棚などにお供えして安産を祈願し、出産後は赤ちゃんの生年月日と氏名を記入して、初宮詣での折りに神社に納めていただき、納められた狛犬は、御神前に祀られ、末永く赤ちゃんの成長を、お守りいただきます。なお、御希望の方には頒布も致します。
  3. 安産狛犬

誕生

産湯

赤ちゃんが生まれるとすぐに産湯をつかわせます。産湯とは、産土さまのお守り下さる大地の水のことです。その水で清めることで神さまの産子(氏子)となるのです。

産湯
産着(産衣)
産湯をつかわせた後、赤ちゃんを袖や紐のない一つ身のおくるみにくるみます。そして、生後三日めになると、ミツメの祝いをして、袖のある産着を着せます。

  1. 産着に麻の葉の文様を縫い付けることもありますが、これには、赤ちゃんが麻のようにまっすぐに成長しますようにとの願いが込められています。お母さんが一針一針こころを込めて縫い上げた産着は、赤ちゃんを優しく守ってくれるでしょう。産着が母方の親から送られるのは、生命のつながりを大切に考え、最も新しい生命を祝福という意味があります。
  2. 地方によっては、生まれてすぐ白または空色の産着を着せ、その後、色直しといって、人間の仲間入りをさせる意味で、色のある着物を着せるところもあります。
産飯
赤ちゃんが誕生した直後に炊いたご飯を、産土さまにお供えして、そのご飯を下げていただきます。
まだご飯を食べられない赤ちゃんの分も用意するのは、神さまの御霊がこもったお下がりを分かちいただくことで、赤ちゃんが無事に育つようにと願うからです。また、産飯を親戚や見舞客など、多くの人にふるまうことは、赤ちゃんを社会的に認めてもらうという意味があります。

お七夜と命名

命名

赤ちゃんお名前は、誕生後七日目のお七夜に付けるのが習わしです。昔は、誕生しても必ず無事に育つとは限らないことが多かったために、お七夜は、赤ちゃんの無事な成長を確かめる大切な節目でした。

名付けは、両親、祖父母、あるいは尊敬している知人、仲人さん等にしてもらいますが、名前は、赤ちゃんにとって一生付き合ってゆく大切なものですから、神社にお願いして神さまから授けていただくのもよいでしょう。

赤ちゃんの名前は、命名書に書いて神棚にお供えします。

  1. 赤ちゃんの名前には、両親の願いが込められています。その意味では、両親が子供に贈る、最初で最高の贈り物といえるかも知れません。
  2. やがて子供が大きくなって、自分の名前のことを考えるときに、両親が自分の名前に込めてくれた願いに気づくのではないでしょうか。

初宮参り

赤ちゃんが初めて神社にお参りして、神さまの御加護のもとに無事誕生したことを感謝し、これからも健やかに成長するようにと祈ります。

多くの場合、赤ちゃんは母方から贈られた晴着を着て、おばあちゃんに抱かれ、両親とともにお参りします。

初宮参り

男子は生後三十一日目、女子は生後三十三日目にお参りするのが一般的ですが、体の抵抗力の少ない赤ちゃんのことですから、あまり日数にこだわらずに、暖かい日や天気のよい日を選んでお参りするのがよいでしょう。

お宮参りは、赤ちゃんを産土(氏神・鎮守)さまの産子(氏子)として認めていただく意味があります。ですから、わざとつねって泣かせ、ご挨拶にきたことを印象づけたり、お参りの帰りに、会う人ごとに赤ちゃんを見てもらって、赤ちゃんがその土地の一員になったことを認めてもらうような風習も残っています。

地方によっては、初宮参りの時に赤ちゃんの額に鍋墨などで犬の字を書いたり、点や一の印をつけることが行われています。女児ではさらに頬に紅をつけることもあります。


お食初め

お食い初め

生後百日め頃に、大人と同じ食膳を用意して、赤ちゃんに食べさせるまねをさせます。百日めの祝いということから、モモカの祝いとか、初めて食べさせることから、ハシゾメ・ハシゾロエとも言います。

お食初めには、赤ちゃんが一生幸福に育ち、食べるものに困らないようにとの親の願いが込められています。

食膳には赤飯のほかに、鯛などの尾頭付きの焼魚が付けられますが、これには、柔らかな赤ちゃんの頭が早くしっかりしますようにとの意味があります。
また、海や川から拾ってきた小石を食膳にのせるところも多いようですが、これは子供の歯が丈夫になりますようにとの意味からです。

初節句

雛祭り

三月三日の雛祭りは女児の節句で、雛人形を飾り、白酒・雛あられ・菱餅を供え親しい人を招いて祝います。雛祭りは、桃の節句、弥生の節句とも言われます。

雛人形

雛人形
古くは人形(紙で人を形どったもの)で体をなでて身の穢れをそれに負わせ、海や川に流す風習でした。この人形と飾って遊んだりする人形が結び付いて、雛祭りになったのです。

端午の節句

五月五日の端午の節句は男児の節句で、鯉幟・菖蒲・武者人形などを飾り、粽・柏餅を供えて祝います。

端午の節句

鯉幟・武者人形・兜
菖蒲と尚武が同音であることから、五月五日が男の子の節句となりました。立身出世しますようにと鯉幟や、強さを意味する武者人形が飾られるようになったのです。

菖蒲湯
五月五日に菖蒲の葉を風呂に入れて入浴する風習です。菖蒲は昔から薬草で、風邪を払って心を清め、火災を除くと信じられています。


七五三参り

七五三参り

十一月十五日に、三才の男女児、五才の男児、七才の女児が晴着を着て、親子そろって神社にお参りし、子供の成長を神さまに感謝し、これからの無事を祈ります。

七五三は、この年頃の子供の年祝いをする古くからの風習に由来するもので、代表的なものは、三才の「髪置」、五才の「袴着」、七才の「帯解」の祝いです。「髪置」は男女児ともに行われた儀式で、この日を境に髪を伸ばし始めました。また男児は「袴着」で袴を着始め、女児は「帯解」でそれまで付け紐で着ていた着物から帯でしめる着物にかえました。つまり形式的にではありますが、七五三を終えて、晴れて一人前として扱われるようになったのです。
七五三参りは昔は数え年で行いましたが、今では満年齢で行うことが多くなりました。

・十三参り
数えで十三才になった少年少女が神社にお参りするものです。昔は、男女ともに十三才が、正式な成人式を迎える前段階の重要な年と考えられていました。関西地方ではさかんに行われています。

・入学・卒業・就職の奉告
成長に合わせた人生儀礼の他に、入学・卒業・就職など生活環境が変わるときも、人生の大きな節目です。
神さまの御加護をいただき、無事に過ごせるようにお願いしましょう。

十三参り


成人式

成人式

一月十五日に、二十才になった男女が神社(氏神さま)にお参りして、無事に大人の仲間入りできたことを報告し、祝います。

昔、武家では前髪を剃る「元服式」が、公家では初めて冠をつける「初冠の儀」が行われていました。今日では、成人になると、選挙権や婚姻の自由など様々な権利が与えられ、それと同様な義務が生じます。

成人とは、ただ年齢が二十才に達したからというものではなく、自分の行動すべてに責任を持たなければならない立場になったことを祝い、自覚する節目なのです。

神前結婚式

結婚は、数ある人生儀礼の中でも最も晴れやかな節目です。神さまのおはらい(御神縁)によって結ばれた二人が、神さまの前で、苦楽をともにして明るく楽しい家庭を築き、子孫の繁栄をはかることを誓い合います。

何と言っても、共同体の最小単位は家庭です。素晴らしい家庭があってこそ、国の繁栄や世界の平和がもたらされるのはないでしょうか。

神前結婚式というと、多くの人は三三九度を、女性ならば無垢・綿帽子・角隠しを思い浮かべることでしょう。神に仕える衣装は、清浄感に満ち溢れた白が使われてきたことから、神さまの前で結婚式をあげる時も、白い衣裳が用いられることになったようです。
また、綿帽子や角隠しは、神職がかぶる冠や烏帽子と同じように、神さまの前に出る時のかぶりものなのです。

神前結婚式の式次第
式次第は、地方によって多生の違いはありますが、一般的には、まず、修祓というお清めのお祓いを受けます。続いて、神職が二人の新しい門出を祝う祝詞を神さまに申し上げて、神さまの御加護をお願いします。
その後、新郎新婦が大・中・小三つの杯に注がれた神酒をくみ交わす三献の儀(三三九度)が行われ、二人が誓いの言葉を神さまの前で申し上げ、指輪の交換をして玉串を奉ります。最後に両親の親族の紹介をして固めの杯を交わします。

神前結婚式の始まり
神前結婚式は、明治三十三年、当時皇太子であせられた大正天皇が、宮中の賢所で行わせられた御結婚の礼を記念して、翌年、現在の東京大神宮で初めて行われ、一般に普及しました。

厄年

厄年

厄年とは、災難や障りが身に降りかかりやすい年のことです。
厄年を迎えると、神さまの御加護をいただいて災厄が身に振りかからないよう、神社にお参りして厄祓をします。
男性は、25才・42才・61才、女性は19才・33才・37才が厄年にあたり、その前後を前厄・後厄と言います。中でも、男性の42才は「死に」、女性の33才は「散々」に通ずるという語呂あわせから、大厄といわれています。

また、古くから42才、61才という年齢は、社会における重要な年回りとされ、神事においても重要な立場に当たりました。そのため、厄年の「やく」とは、神祭りを行う神役の「役」のことであるともいわれています。その役を行うにあたって神さまに失礼のないように、飲食や行為を慎み心身を清浄にするためにご祈祷を受けたのがはじまりであるとも考えられています。

正月が過ぎてからもう一度、門松を立て、餅をついて新年を迎える祝いをし、正月を二度行うことによって、年齢を進めて厄年を通過したとするところもありますし、同じものを食べることによって、厄を分散するところもあります。

年祝い

両親や祖父母をはじめ、一家のものが長寿であることほどおめでたいことはありません。還暦の祝いをはじめ、ある一定の年齢に達すると、一家そろって長寿のお祝いをします。

還暦(六十一才)

十干と十二支の組み合わせは60通りあり、自分の生まれた年と同じ干支がまわってくるのはちょうど61年後になります。干支が一巡して元に戻るというので、生まれ直すという意味から、赤い頭巾やチャンチャンコが贈られます。本卦がえりという場合もあります。

還暦
古希(七十才)

中国の詩人杜甫の詩「人生七十古来稀なり」という言葉からつけられました。

喜寿(七十七才)

喜の略字が七・十・七と分解されることからつけられました。

傘寿(八十才)

傘の略字が八・十に分解できることからつけられました。

半寿(八十一才)

半という字が八・十・一に分解できることからつけられました。また将棋盤の目が81あることから半寿は盤寿ともいわれます。

米寿(八十八才)

米という字が八・十・八に分解できることからつけられました。

卒寿(九十才)

卒の俗字が「卆」が九・十に分解できることからつけられました。

白寿(九十九才)

百の字から一をとると白という字になることからつけられました。

上寿(百才)

六十才の下寿、八十才の中寿に対するもの。

茶寿(百八才)

茶の字は十が二つと八十八とに分解され、合計が百八となることからつけられました。

皇寿(百十一才)

皇の字が白と王に分解され、白が九十九、王が十二ということで合計百十一となることからつけられました。

星祭厄年

星祭厄年とは、毎年の九星方位で、自分の生まれ星(一白水性・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五黄土星・六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星)の位置により注意が必要な年回りをいいます。
自分の生まれ星が、中央に位置する年が「八方ふさがり」といわれ八方除けに該当します。更に北東「表鬼門」・南西「裏鬼門」・北に廻った年が星祭厄年で星厄消除に該当すると云われています。
※九星は旧暦に基づいて決定されます。節分前の生まれ年の方は1つ前の九星となりますのでご注意下さい。

令和7年 厄年 年祝い一覧表

※スマートフォン・タブレットの方は、表を横にスクロールしてご覧ください。

厄年祓
男性 (数え年) 女性 (数え年)
前厄 本厄 後厄 前厄 本厄 後厄
平成14年生 平成13年生 平成12年生 平成20年生 平成19年生 平成18年生
24歳 25歳 26歳 18歳 19歳 20歳
昭和60年生 昭和59年生 昭和58年生 平成年生 平成年生 平成年生
41歳 42歳 43歳 32歳 33歳 34歳
昭和41年生 昭和40年生 昭和39年生 平成年生 平成年生 昭和63年生
60歳 61歳 62歳 36歳 37歳 38歳
年男・年女
男女共通 (数え年)
十三詣 年男年女 年男年女 年男年女 還暦 年男年女 年男年女 年男年女
平成25年生 平成13年生 平成年生 昭和52年生 昭和40年生 昭和28年生 昭和16年生 昭和年生
13歳 25歳 37歳 49歳 61歳 73歳 85歳 97歳
年祝祭
男女共通 (数え年)
古希 喜寿 傘寿 米寿 卒寿 白寿
昭和31年生 昭和24年生 昭和21年生 昭和13年生 昭和11年生 昭和年生
70歳 77歳 80歳 88歳 90歳 99歳
八方除
(二黒土星生まれ)
男女共通 (数え年)
令和年生 平成28年生 平成19年生 平成10年生 平成年生 昭和55年生
1歳 10歳 19歳 28歳 37歳 46歳
昭和46年生 昭和37年生 昭和28年生 昭和19年生 昭和10年生 大正15年生
55歳 64歳 73歳 82歳 91歳 100歳
星厄消除
(五黄土星生まれ)
男女共通 (数え年)
令和年生 平成25年生 平成16年生 平成年生 昭和61年生 昭和52年生
昭和43年生 昭和34年生 昭和25年生 昭和16年生 昭和年生 大正12年生
星厄消除
(八白土星生まれ)
男女共通 (数え年)
令和年生 平成22年生 平成13年生 平成年生 昭和58年生 昭和49年生
昭和40年生 昭和31年生 昭和22年生 昭和13年生 昭和年生 大正年生
星厄消除
(七赤金星生まれ)
男女共通 (数え年)
令和年生 平成23年生 平成14年生 平成年生 昭和59年生 昭和50年生
昭和41年生 昭和32年生 昭和23年生 昭和14年生 昭和年生 大正10年生

令和6年 厄年 年祝い一覧表

※スマートフォン・タブレットの方は、表を横にスクロールしてご覧ください。

厄年祓
男性 (数え年) 女性 (数え年)
前厄 本厄 後厄 前厄 本厄 後厄
平成13年生 平成12年生 平成11年生 平成19年生 平成18年生 平成17年生
24歳 25歳 26歳 18歳 19歳 20歳
昭和59年生 昭和58年生 昭和57年生 平成年生 平成年生 平成年生
41歳 42歳 43歳 32歳 33歳 34歳
昭和40年生 昭和39年生 昭和38年生 平成年生 昭和63年生 昭和62年生
60歳 61歳 62歳 36歳 37歳 38歳
年男・年女
男女共通 (数え年)
十三詣 年男年女 年男年女 年男年女 還暦 年男年女 年男年女 年男年女
平成24年生 平成12年生 昭和63年生 昭和51年生 昭和39年生 昭和27年生 昭和15年生 昭和年生
13歳 25歳 37歳 49歳 61歳 73歳 85歳 97歳
年祝祭
男女共通 (数え年)
古希 喜寿 傘寿 米寿 卒寿 白寿
昭和30年生 昭和23年生 昭和20年生 昭和12年生 昭和10年生 大正15年生
70歳 77歳 80歳 88歳 90歳 99歳
八方除
(三碧木星生まれ)
男女共通 (数え年)
令和年生 平成27年生 平成18年生 平成年生 昭和63年生 昭和54年生
1歳 10歳 19歳 28歳 37歳 46歳
昭和45年生 昭和36年生 昭和27年生 昭和18年生 昭和年生 大正14年生
55歳 64歳 73歳 82歳 91歳 100歳
星厄消除
(六白金星生まれ)
男女共通 (数え年)
令和年生 平成24年生 平成15年生 平成年生 昭和60年生 昭和51年生
昭和42年生 昭和33年生 昭和24年生 昭和15年生 昭和年生 大正11年生
星厄消除
(九紫火星生まれ)
男女共通 (数え年)
平成30年生 平成21年生 平成12年生 平成年生 昭和57年生 昭和48年生
昭和39年生 昭和30年生 昭和21年生 昭和12年生 昭和年生 大正年生
星厄消除
(八白土星生まれ)
男女共通 (数え年)
令和年生 平成22年生 平成13年生 平成年生 昭和58年生 昭和49年生
昭和40年生 昭和31年生 昭和22年生 昭和13年生 昭和年生 大正年生

神葬祭

核家族化の現代とはいえ、私たち日本人の家庭にはその多くに祖先をまつる祭壇があります。大多数は「仏壇」ですが、神道では「祖霊舎(それいしゃ・みたまや)」とよび、形式こそ違え、そこにあるのは「祖先をまつる信仰」といえます。そして自分の代りに祖先の伝統を守り、祀る事で祖先から守られると考え、自分も祖先の仲間入りをして子孫を守っていこうとする。

つまり人の命は神や祖先から頂くものであり人が死に至ったときには、御霊は神や祖霊の許へと導かれると共に霊璽(れいじ)に遷霊され家々の御祖先の祖霊舎に祀られ、一家の守護神となり日夜子孫を見守り、子孫の繁栄と幸福をもたらすとされています。

この大切な儀式が人生儀礼(安産祈願にはじまり、七五三、結婚式、厄年ばらいなど)最後を飾る葬儀、すなわち神葬祭となるわけです。

神葬祭の歴史

神道の形式によって行われる葬儀を「神葬祭」といいますが、葬儀というと一般的には仏教の専門と思われがちで、事実、仏教の形式によって行われる葬儀が大半を占めています。けれども、神葬祭はすでに仏教伝来以前からあったことが、『古事記』『日本書紀』といった古典にも記されていて、日本固有の葬法があったことを物語っています。

仏教伝来以降は、急速に仏教の形式による葬儀が普及していき、さらに江戸時代になると寺請制度(キリスト教の信仰を防ぐため、人々は誰でも必ず寺に所属しなければならないという制度)が実施されたことから、その傾向はますます強くなりました。そのような時世の中、国学の興隆によって国学者らによる神葬祭の研究も行われるようになり、神職とその嫡子に限って神葬祭が許可されるようにもなったのです。明治時代になると、一般人に至るまで神葬祭が許可されるようになり、全国へ広まっていきました。

神葬祭の流れ

神道の葬儀である「神葬祭」は帰幽報告(きゆうほうこく)の儀にはじまり、枕直し(まくらなおし)、納館(のうかん)、通夜祭(つうやさい)、葬場祭(そうじょうさい)、発柩祭(はっきゅうさい)、火葬祭(かそうさい)、埋葬祭(まいそうさい)、帰家祭(きかさい)をもって終了します。

帰幽報告(きゆうほうこく)
神社、あるいは神棚に向かって「○○が帰幽いたしました」と、家族の死を報告する儀式です。帰幽報告の儀の後、神棚、霊舎の扉を閉め白い半紙を下げます。

一、枕直し(まくらなおし)

  1. 遺体に白木綿の小袖を着せ、首位を向かって右方向に安置、守り刀の刃を遺体と逆方向に向け枕もとに置きます。
  2. お供えは、「案」とよぶ白木の八足の上に三方を置き、それぞれの容器に水、塩、米、酒、故人が好んだ品々又日常の食膳をのせ、榊、ろうそくを飾ります。
  3. お供えのあと、遺族、近親者、親しい人たちが、故人の安らかな眠りを祈ります。
  4. 喪主、遺族、近親者、二礼・二拍手・〔しのび手(音をたてない)〕・一礼で行う。

二、納棺(のうかん)

  1. 遺体を棺に納め、棺に蓋をして白布でおおいます。
  2. 柩を通夜を行なう部屋に移し、祭壇の中央に安置します。
  3. 祭壇に、遺影と供物を供え柩前に着席します。
  4. 喪主、遺族、近親者、二礼・二拍手・〔しのび手(音をたてない)〕・一礼で行う。
柩前日供(きゅうぜんにっく)
これは納棺から出棺までの毎日行われるものです。毎日朝夕の2回、故人の好物であった常饌を柩の前に供え、喪主・遺族が拝礼します。故人の使っていた食器、箸も添えて祀ります。この場合の拝礼は、二礼二柏手〈しのび手)一礼で行います

三、通夜祭、遷霊祭

霊璽

通夜祭は近親者によってお葬式の前夜に、夜を通して行われます。前夜祭は死亡後、葬儀を行うまでの間、遺体のあるところで生前同様に礼をつくし手厚く行う儀式です。

遷霊祭では亡くなられた方の御霊を霊璽(れいじ)といわれる白木の「みしるし」に遷します。霊璽には霊号、おくり名が記されしばらくの間は仮御霊舎に安置されます。また通夜祭にて悲しみや慕いの気持ちをこめた「祭詞」を申し上げ、遺族の方は「玉串」を捧げてお参りします。

四、葬場祭、発柩祭

神主

故人に対し最後の訣別を告げる最大の重儀である(告別式)。弔事の奉呈、弔電の奉読などが行われる。

発柩祭は葬場祭終了後、火葬場に葬送することを柩前に奉告する祭儀。出柩の際霊璽は火葬場に持参しない。

五、火葬祭

遺体を火葬に付する際に行われる祭儀。

六、埋葬祭

墓所を祓い清め遺骨を埋葬した後に行われる祭儀。事情により当日中に埋葬できない場合は日を改めて行うが、出来るだけ五十日祭までに納骨するのが望ましい。

七、帰家祭(きかさい)

火葬場または墓所から戻り、塩・手水で祓い清めて霊前に葬儀が滞り無く終了したことを奉告する。

金封の水引き・表書き
神式の葬儀の場合、表書きは、「玉串料」「御榊料」「御供物料」「御霊前」などと書きます。水引は黒白・黒白銀、黄白、双銀にて、結びは結切りか鮑結びが基本です。
また水引なしの無地白折を使用する場合もあります。
神式の場合は、蓮の花の絵柄の不祝儀袋は使いません。表書きは必ず薄墨で書きます。
水引きより上に表書きをして、水引きの下中央に、自分の名前をフルネームで書きます。連名の場合は、表に名前を書くのは3名ぐらいまでです。それ以上の場合は、「○○一同」などと書き、別紙に全員の名前を書いて中包みの中に入れます。

※ここでは、西野神社の葬儀に関して記載しましたが、地域の習慣により違いがあることをご理解下さい。


霊祭

帰家祭以後仮の御霊舎(みたまや)から祖霊舎(それいしゃ)に合祀するまでを「霊前祭」(れいぜんさい)、祖霊舎に合祀してからを「祖霊祭」(それいさい)とする。

霊前祭

日々残された家族や、子孫のしあわせをお守りいただく御霊が、幽冥(かくりよ)の御祖先と共に安らかに鎮まりますことを祈る祭儀で、残された家族の大切な勤めである。

一、翌日祭(よくじつさい)
葬儀の翌日に行なわれる霊祭。最近は省略されることが多いようです。
二、毎十日祭(まいとうかさい)
亡くなった日から十日ごとに行なわれる霊祭。十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭があり、生前の故人を偲び、御霊の安寧を祈る祭儀。
霊前へのお供えは、霊璽を祖霊舎に合祀するまでは霊前に毎朝夕の二度常饌(日常の好んだ食物)あるいは生饌(米、塩、水)を供えます。特に五十日祭と一年祭を重くし一年祭はさらに丁重にします。
五十日祭(或いは百日祭、一年祭)が過ぎると祓いのあと御霊は霊舎に遷され、祖霊の御霊があれば合祀祭を行う。
これが済めば神棚、祖霊舎の前の白紙を取り除き神社への拝礼も普通通りにします。

祖霊祭

一、百日祭以降
一年祭、三年祭、五年祭、十年祭、あと十年ごとに五十年祭まで。
霊舎
二、
御霊舎、祖霊舎に納められた御霊は家族の最も身近な祖霊として節目節目の祭儀はもちろん日々の生活を共し、毎月一日、十五日は月の節目としてお供えを一段と丁寧にする。
祥月命日に行われる正辰祭(せいしんさい)は家族そろって拝礼し春分の日、秋分の日(彼岸)にも墓参など祖先の御霊に追慕の誠を捧げ、其の御加護を祈る。

饌の供え方

饌

饌の供え方は下記のとおりですが、只並べ方品目にこだわるのではなく、故人が生前好んだもの、到来物、季節の物など真心込めてお供えいたしましょう。

饌の例
饌の供え方図

玉串奉奠の作法

  1. 玉串の枝の根元を右に枝先を左にして受けとり左手で下から捧げるように持ちます。
  2. 祭壇前にある玉串案に進みます。
  3. 玉串をかるく目の高さまで捧げ右回りで回転させて持ちかえます。
  4. 根元を祭壇に向けておきます。
  5. 祭壇を向いたまま二礼し、二拍手(音をたてない)一礼し下がります。
    (五十日祭から拍手は音をたてます。)

服忌

「服」とは喪服を着ることつまり喪に服すること、「忌」は人の死を畏れ忌むことを意味しまし、ご家族が亡くなったとき、一定の期間、身を慎みます。この期間中を「服忌」「忌服」と言い、神社への参拝、祭りごとへの参加、お祝い事等を遠慮するのが一般的です。

その期間は、ご自身と、亡くなった方との血縁がどうであったかによって、変わります。地域の習慣もありますが、下表をご参考にして下さい。

  1. 父母・夫・妻・子 ……………………………………………………… 五十日
  2. 祖父母・孫・兄弟・姉妹 ……………………………………………… 三十日
  3. 曾祖母・曾孫・甥・姪・叔父・叔母 …………………………………… 十日
  4. その他の親族 ……………………………………………………………… 三日
  5. 特に親しい友人知人 ……………………………………………………… 二日
  6. 配偶者に親族については、前項を一項ずつ繰り下げたに日数による。
    但し前項4.5については服さない。
  7. 本葬・社葬などが右の期間を過ぎて行われた場合は、更にその当日のみ服する。
《家庭の神棚について》
ご家族等がなくなったとき、その日より忌中の間は、神棚に白布や半紙を掛け、お供えや参拝はしばらく遠慮します。また、この期間が過ぎていれば、新年の新しいお札をお受けになってもかまいません。
《神社の参拝》
この期間中は、神社境内への進入また地域における祭礼行事などへの参加を遠慮する。
※上記立場上やむなく参加の場合は、忌明けの祓いを受ける。
《お正月について》
ご家族等が亡くなったとき、年末年始のご挨拶、年賀状は遠慮するのが一般的です。また、門松、しめ飾りなどもお飾りしません。
ただし、亡くなってから50日以上を経過している場合等は、門松、しめ飾りをお飾りしてもかまわないでしょう。その際は、例年より控えめにするのがよいでしょう。

※ここでは、西野神社の葬儀に関して記載しましたが、地域の習慣により違いがあることをご理解下さい。

西野神社

〒063-0021
札幌市西区平和1条3丁目
TEL:011-661-8880
FAX:011-665-8698
Mail:mail@nishinojinja.or.jp