お正月あれこれ
神棚の祀りかた
紙垂の作り方
- まず適宜の大きさの紙を二つ折りにします。
- 次に図のように切り込みを三本入れます。(切り込む長さは高さの三分の二)
- 左端の一片を指で押さえて残りの三片を順次手前へ折り返します。
- 歳徳神
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特にお正月に家々に迎え奉る歳徳神は、「歳神さま」「お正月さま」などとも呼ばれ、新しい年の穀物の稔りを約束してくださる神さま、私たちの生命を与えてくださる神さまであり、いつも私たちを見守って下さる尊い神さまと申し上げてよろしいでしょう。
多くは・恵方棚などと呼ぶ棚を憑くってお祀りしますが、床の間にお祀りする場合もあります。最近では神棚の下に垂らして一年の平穏と安泰を祈り、どんど焼きには納めます。
正月いろは
関連リンク
- ➡️ 西野神社神道いろは
- ➡️ All About (オールアバウト)↗️ お正月飾り・門松
「服忌」のこころえ
ご家族が亡くなったとき、一定の期間、身を慎みます。この期間中を「服忌」(ぶっき)「忌服」(きぶく)といい、神社への参拝、祭りごとへのさんか、お祝い事等を遠慮するのが一般的です。地域の習慣もありますが、下記の日数を目安にされたらよろしいでしょう。
一、服忌の期間に関すること
- 父母・夫・妻・子 …………………………………………… 50日
- 祖父母・孫・兄弟・姉妹 …………………………………… 30日
- 曾祖母・曾孫・甥・姪・叔父・叔母 ……………………… 10日
- その他の親族 …………………………………………………… 2日
- 特に親しい友人知人 ……………………………………… 2日程度
- 配偶者に親族については、前項を一項ずつ繰り下げたに日数による。但し前項エオについては服さない。
- 本葬・社葬などが右の期間を過ぎて行われた場合は、更にその当日のみ服する。
二、服忌中に関すること
- 地域における祭礼行事などへの参加を遠慮する
- 結婚式・宮参り・七五三祝等の人生儀礼への参加を遠慮する
- 喪家(弔いを出した家)にあっては、服忌中、神棚を白紙で覆い、神祭りを遠慮する。
- 喪家にあっては、神札をまつること以外の正月飾り、年賀状を含む年賀の挨拶などについては、当年度これを行わない。
- 服忌期間中に、新年の「お伊勢さま」「氏神さま」等の神札の頒布があった場合期間を過ぎてから神社に出向いてこれを授かる。
- 1、お神札(おふだ)とお守り
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古代の人は、さまざまな危険や災難から心身を守るために、石や骨、鏡や剣といった呪物(霊威をもつ物)を、身近に携えていました。 そうすることにより、神様のお力で心身を守れると信じられていたのです。のちにその呪物が時代とともに形を変えて、「お神札」や「お守り」となったのです。 もちろん古代と現代とでは、その内容も信仰の形も違います。
お神札は、家内安全や火災、疫病といった災厄からも私たちを守ってくれるもので、主に神棚にお祀りしたり、門口や柱に貼ったりします。お守りは、お神札を小型化したもので、木片や紙片に神社名が記されています。 それをお守り袋に入れて、常に身につけておきます。
お守りには、肌守りを始めとして、厄除や良縁、安産、交通安全、学業成就などを祈願した、さまざまな種類のお守りがあります。これらのお神札やお守りは、神職が神前にてお祓いと祈願を済ませたものを授与しておりますので、神霊の御分霊が宿ったものなのです。
- 2、破魔矢(はまや)・破魔弓(はまゆみ)
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お正月に神社に参拝した際に、破魔矢を受けられる方は多いことかと思います。破魔矢は正月の期間に社頭で頒布されている授与品の一つで、その年の干支の絵馬が付いたものがあるなど、一年間お飾りする縁起物となっています。
破魔矢の由来は、破魔弓と一式になったものであり、全国各地に見られる年占の際におこなわれた弓射を起源にするものともいわれております。これは各地区ごとに弓射を競い、勝った方がその年の豊作に恵まれるというもので、作物の豊凶をトするためにおこなわれてきました。
また、正月の男児の遊戯としても用いられていましたが、江戸時代以降、子供の成長の無事を祈る縁起物として、装飾を施した弓と矢が男児の初正月や初節供に贈られるようになりました(女児は羽子板)。その後、これが簡略化されて矢だけが魔除けとして、正月に神社で授けられるようになったと考えられます。
破魔矢はその名称の通り、魔を破り、災厄を祓う矢として信仰されています。上棟祭の折にも、鬼門の方角である東北と裏鬼門の方角である西南の方向に向けて、屋上に二張りの飾り矢を設けたり、鳴弦の儀と称して、神職が実際にこの方向に向けて弓射をおこなうのもこうしたことに基づくものです。
しかし、破魔という字を充てたのは後世のことであり、本来「ハマ」とは弓射に用いた丸い的のことで、各地に濱井場(はまいば)という地名が残るのも初春に「ハマ」を射た場所であることを意味したものとする説なども有ります(柳田国男「濱弓考」)
さて破魔矢の飾り方についてですが、神棚の上や床の間など清浄な場所に飾って戴ければ問題ありません。矢先の方角についても上棟祭の場合のように特に決められた方向はないかと思います。
➡️ 破魔矢のご案内
- 3、絵馬(えま)
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祈願または祈願成就の感謝の証として神社に奉納する、馬の絵を描いた額のことを「絵馬」といいます。 絵馬の形は、板の上部を山形にしたものが大半を占め、これにそれぞれの願い事を書いて奉納します。
日本では古くから、神さまの乗り物として馬が神聖視され、お祭りや祈願のときには、神馬(じんめ)といって生きた馬を神に奉納する風習がありましたが、その代わりとして、板に馬の絵を描き奉納するようになったのが絵馬の起源とされています。
絵馬が一般大衆に広まったのは、鎌倉時代以後のことです。 その頃から、馬の絵の他にもさまざまな動物(キツネやへビなど、お祀りされている御祭神と関わりのある動物)も描かれるようになりました。
さらに時代が下るにつれて図柄は多様化し、病気平癒を願う絵馬(例えば、目を病んでいる人のために目の絵が描かれている絵馬など)の他に、安産や子育てなどの絵馬が次第に増えてきました。
最近では入学祈願や就職、良縁を求めるための絵馬が増えています。
➡️ 絵馬のご案内
- 4、おみくじ
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お正月に神社に参拝した際に「おみくじ」を引き、今年の年回り(運勢)などを占われた方も多いかと思います。 一般的に「おみくじ」は、個人の運勢や吉凶を占うために用いられているわけですが、種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には、大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶という吉凶判断、金運や恋愛、失せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌なども載せられています。
そもそも占いとは、物事の始めにあたって、まず神様の御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れとも言えます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う粥占神事や、神社の祭事に奉仕する頭屋(とうや)などの神役を選ぶ際に、御神慮に適う者が選ばれるよう「くじ」を引いて決めることなど、古くから続けられてきました。「おみくじ」もこうした占いの一つと言えます。
「おみくじ」を吉凶判断の目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としてゆくことが大切なことと言えます。
凶などの「おみくじ」を神社境内に結んで帰る習わしもありますが、「おみくじ」を持ち帰って充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせたいものです。
大吉や大凶が出るとその反対になりやすいという説もありますが、これは「陰陽道」的な考え方の、「陽極まれば陰生ず、陰極まれば陽生ず」という言葉に由来されていて、大吉や大凶など対局にあるものはその逆方向に転じ易いということをあらわしています。吉であっても気をつけよ、凶であっても用心して誠実に事にあたれば必ず御加護がある、そうです。
おみくじは、むやみに境内の木々に結びつけると植物が傷みますし、景観を損なう心配もあります。「おみくじ結び所」へ結んでください!
よく質問される吉凶の順番は諸説有りますが当社はこのようにお話ししています。
大吉 >中吉 >小吉 >吉 >末吉 >凶 >大凶
年を祝う
- 1、「とし」と「いのち」
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普段の生活ではあまり意識することのない「年」ですが、お正月にお年玉をもらったり、節分には年の数だけ豆を食べたり、一定の年齢に達すると神社にお参りに行き家族そろってお祝いをする…、そんな習慣が今日に伝えられていることを考えると、日本人がずいぶんと「年」にこだわって生きてきたことがわかります。
単なる時間の積み重ねではない「年」に抱き続けて生きてきた、そんな日本人の「年」に対する思い入れを、こんな時代だからこそ考えてみたいと思います。
- 2、年に込められた願い
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私たちの祖先は、お正月を迎えることで年を一つずつとるという考え方を、「数え年」として生活の中に取り入れてきました。今日でも年配の方に年齢を尋ねると、数えで何歳という答え方をしばしば耳にします。
これは、稲作を中心とした生活習慣から生まれてきました。私たちの祖先は、春に蒔いたもみが苗となり、初夏の田植えを経て、秋には黄金色の稲穂を実らせるという流れを生活の基本的なリズムや精神の規範におき、やがて「年」と呼ぶようになりました。
その中でもお正月は、稲に宿る新しい力を自分たちの中に分けていただく期間として、特に大切にしてきました。
- 3、お年玉
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「初詣」、「お雑煮」、「お年玉」など、一年の始まりのお正月には日本人が古来大切にしてきた「年」の観念を見ることができます。例えば、お年玉に注目してみると、今日ではお金を包むことが多くなりましたが、もともとは丸いお餅を大人も子供もいただくものでした。このお餅をいただくことでお正月にお迎えする年神様の魂を分けてもらい、年を一つ取ることができると考えたのです。
- 4、人生の節目と日本人
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日本人は、人生の節目節目にそれまで積み重ねてきた年を振り返り、生命の尊さを考えてきました。
私たちは毎日、家族をはじめ多くの人たちや、自分の周りの様々な見えない力に支えられて生きています。日本人は、この生命を支えてくれる見えない力の働きを「神様のおかげ」と呼び、神様に感謝する心を培ってきました。
それは一日の神棚への祈りからはじまり、お正月の初詣、それぞれの年の節目のお祝いへとつながっています。「数え年」は、この節目節目のお祝いを地域の人々、周りの人々に誰もが同じ時に同じように祝っていただけるのです。
七五三や成人式などのお祝いも、様々な支えによって生かされて今日に至っている自分の存在と、生命のつながりを確認する機会ともなります。
正月と食
- 若 水(わかみず)
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一月一日の早朝、井戸水を汲んで神に供えること。またその汲んだ水を若水いう。若水は、年神への供え物や家族の食事を調えたり、お茶をいれたり、洗顔にも用います。
若水は邪気を除くと信じられ、元日の朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に出会っても口をきかないしきたりであったという。
水道が普及するまでは各地で正月の儀礼の一つとして行われていました。 若水を汲むのは年男の役目とする所が多く、水を汲む場所は掘り井戸ですが、井戸が掘られる前は川や泉でした。土地によっては水道が普及した後でも、川や泉で汲むという慣習を守っているところもあるそうです。
水道であれ、水は大切なものであることは今も同じ。蛇口に輪飾りをつけ感謝を込めて汲むと、縁起のいい水になる。これをお屠蘇の後かお雑煮の前にのむそうだ。
女性は、この水で顔を洗うと若さを得、美人にになるといわれ、若水ですった墨で書き初めもする。
- お節料理
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「お節(おせち)」といえば、今では正月の料理という意味で使われることが多いこの言葉、元々は「御節供(おせっく)」の略。季節の節目に神に供えるものということで「節供」である(今は節句と書くことが多いが、本来は節供)。年神を迎える正月は家族が一同に会し、供物の一部を分かち食する「直会」を行い新年を祝いました。
また、三が日あるいは松の内までに大切な人を招いてもてなす料理でもあり、この饗応自体を「お節」あるいは、「お節振舞」と言ったそうだ。
お節料理は、目出度い材料を用いた「晴れの料理」。また、火を使わないで食べることの出来る料理でもあり、年中忙しい竈の神様と女性を休めるための料理とも言われる。
包丁を使わないということにも金気を避ける・切るという言葉を忌むという意味があるようだ。
現在、一般的にお節料理と言えば重箱に盛られた重詰めの料理のことをいいます。 お節料理は、それぞれにめでたいいわれがあり、地域によっても様々です。
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- 黒豆 「まめに暮らせるように」との語呂合わせ黒は道教では邪除けの色とされている。
- 蓮根 たくさんの穴がある形状から将来の見通しがきくとの縁起担ぎ。
- 昆布 「喜ぶ」に「子生」と当てて子孫繁栄。古くはめでたく「ひろめ」「えびすめ」とも。
- 叩き牛蒡 豊年を象徴する瑞鳥を表し豊作と息災を願う。黒い色は邪を祓う色でもある。
- ニシン 「春告魚」とも書く春の使者。その子供が数の子「数」は子孫繁栄を表す。
- 蒲鉾 形が日の出に似ているので、お節に欠かせない。赤は魔よけ、白は清浄を表す。
- 八つ頭 八方に頭があるように見え、親芋が大きいことから、頭となることを願ったもの。
- 海老 長寿を表す縁起物の代表格。脱皮は清明の更新とされ祝いの膳の定番。
- 一般的な重詰め
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- 一の重…口取り
- きんとん、かまぼこ、伊達巻き
- 二の重…焼き物
- 小鯛の塩焼き、ぶりの照焼き、鶏肉の松風焼
- 三の重…煮物類
- 八つ頭、牛蒡、人参などの煮染め、昆布巻
- 与(四)の重…酢の物
- 紅白なます、菊花かぶ
- 祝い肴(三つ肴)…一の重に詰めるか、別の器に盛る
- 数の子、田作り、黒豆
- お雑煮
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お雑煮は 正月の祝いの食物です。
お節料理と同じく「直会」を意味し、 雑煮で正月を祝うようになったのは室町時代といわれています。雑煮は、餅が臓腑を保養するところから「保臓(ほうぞう)」から雑煮になったとの説があるようです。
元々は神様へのお供えでそれを「直会」でいただくことによって神様の祝福を受け、1年中家族全員が健康に暮らすことができる。
- お屠蘇
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お屠蘇を飲んで無病息災を願う
お屠蘇とは正月に飲む、屠蘇散を浸した酒または味醂のことをいいます。邪気を祓い、一年の無病息災を願います。山椒、桔梗、肉桂、白朮、防風などを調合して紅絹袋に入れ、酒か味醂に浸します。古くから、「屠蘇祝う」と称して大中小三種の盃で頂き、無病息災を祈りました。
三ツ重ねの杯を用い年少者から年長者へ各々上の杯から順に計3回づつ飲む。
- 鏡餅 鏡開き
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鏡餅とは神供用の丸くて平たい餅のことで、お供え、お鏡とも呼ばれています。
もともと年神に供える餅のことを言いました。 昔から神仏の祭りには餅を供えるならわしが有り、 鏡餅という名は、鏡の形に由来します。古く、鏡は神の依るところと考えられ、神事に使われ宗教的な意味合いの濃いものでした。今日でも、神社の祭事には薄い鏡状の丸餅を供える所があるそうです。
鏡餅を供える場所は、床の間や神棚、仏壇、年棚といった所から、近年では住宅事情により多様化してきています。 三方に奉書紙を垂らして敷き、ゆずり葉と裏白をのせ大小二つの鏡餅を重ね、その上に橙の他、串柿、昆布などを飾ったものが一般には知られていますが、飾り方も地域や家によって違いがあります。
鏡開きは正月に供えた鏡餅を食す行事。一月十一日に行うのが通例で、刃物で切ることを忌み、手や槌で割ります。鏡餅は「切る」とはいわず、縁起を担いで「開く」と呼ぶ習わしがあります。砕いた餅をおしるこなどにしていただきます。
・・・飾り方も地域や家によって違いがあります。
とにかくおめでたく飾ることが大切。 -
- 松竹梅鶴亀 おめでたい飾り熨斗は身代をのし上げることを意味する。
- ゆずり葉 別名親子草新芽が成長すると古い葉に譲る。子孫が永く続くことを願ったもの。
- 昆布 「喜ぶ」との意味から広布(ひろめ)夷子布(えびすめ)のめでたい異称もある。
- 橙 実が7年は落下せず、再生を繰り返す。そこから家の「代々」の繁栄の象徴となった。
- 裏白 葉が落ちず、新芽が重なって生ずるので家族の繁栄を、また夫婦仲の良さも表す。
- 紙垂 「御幣」「四手」とも。稲穂の垂れ下がった姿を表し、豊作を祈る神事に使われた
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・・・・砕いた餅をおしるこなどにしていただきます。
最近は真空パックされた鏡餅があるが、刃物を使わなければ開かないから縁起上好ましくない。表面にカビが生えていたらアルコールでふき取るか、金たわしでこすり取るとよい。
- 七 草
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「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」春の七草。正月七日には、この七草を炊き込んだ七草粥食べると無病息災で一年を過ごせるとか。
- 恵方巻(えほうまき)
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関西ではやりだした行事である。
節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、太巻きをまるかぶりするのが習わしで食べている間は、無言でなければならない。
七福神にちなんで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、伊達巻、うなぎ、でんぶなど七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。「福を巻き込む」という説らしい。
「まるかぶり」についても、包丁で切ることで中に巻き込んだ福がこぼれないためとも言う。また、赤い色(でんぶ?)を赤鬼、青い色(キュウリ?)を青鬼と見立てて、これを平らげるという話もあるようだ。
正月と行事
- 正月2日に行われ仕事の準備をしたり、稽古を始める儀式の日。書き初め用の筆と墨は新しいものを用意し、その年の恵方に向かって若水で墨をすり、おめでたい詞歌や詞、自作の賀頌をしたためる。吉書は神棚に上げておくか、部屋に飾り、15日のどんど焼きの火で焼く。これを吉書揚げといって、紙が高く燃え上がれば上がるほど、腕前は上達するといわれている。
- 初夢
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年が明けて初めて見る夢のことで1月2日に見る夢をさす。夢は神仏のお告げと信じられ夢で吉凶を占ってきた。とりわけ初夢は1年の運勢を判断する重要な物だったからいい夢を見て良い1年になることを願った。めでたい夢の筆頭は「宝船」「一富士、二鷹、三茄子」がある。