天候が静まるのを待って、庚午丸は10月5日朝、寒風ついて箱館港を出帆。こんどは、無事に小樽に上陸しました。(明治4年10月7日新暦の10月20日)
ところが小樽には600人近い人々をとめておく場所がなかったので、開拓使のさしずで石狩の町へ行くことになりました。ここは漁場で番屋や納屋があったからです。
途中の朝里、銭函の間は、山が海にせまって、けわしい所です。この難所を荷物を背負いみんなしっかり手をとりあい、声をかけあって、命がけで通りぬけたということです。
銭函から海岸ぞいに石狩へ向けて、一歩一歩、砂浜を歩みつづけていきました。
遠い道のりを、寒い北風に吹かれながら…その苦労はなみたいていのことではなかったでしょう。
みなさんが海水浴に行ったことのある銭函や大浜のあのどこまでもつづいている砂浜を老人も子供も赤ん坊も歩いて行ったのです。

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