「北海道の気候は、くだものづくりにてきしている。」といった、開拓使のまねきで来た、アメリカ人ケプロンのすすめもあって、くだものの中でも、北海道の気候や、土地にあったリンゴ作りが、明治8年頃から各地ではじめられました。
西野ではすこしおくれた30年代からリンゴを植えるようになりました。
一時は西野の山ろくに200〜300町歩植えるけいかくがありましたが、リンゴは苗木を植えてから実がなるまでに10年もかかるし、よほど広い土地をもっていないと、作るのがむずかしかったからため、多くはつくられませんでした。
また、大正時代の中ごろ害虫の被害もあって、リンゴをつくっていた人の中にはやめてしまう人もいました。
その後明治の終わりごろから大正にかけて、リンゴの実にふくろをかけることを、考えたり、害虫や病中をふせぐ薬がつくられ、再びリンゴ作りをする人がでてきました。
西野地区でリンゴ作りがさかんになったのは、昭和になってからです。おいしい「西野リンゴ」として知られるようになったのもこのころです。
しかしその後フラン病という防ぎにくい病気がはやり、おおくの木がうしなわれたということです。
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