西野分教場は明治24年(1889年)、現在の西野神社から500メートルくらい上手の坂の上で、右股や左股の子どもたちはこの西野分教場へ通学しました。
この分教場はもと法華宗の説教所としてたてたものをかりたもので、床の間には、よろいをつけた、等身大の加藤清正公の像があんちしてありました。
この西野分教場の初代のせんせいは、前原兼太郎といい、背の低い人でしたが、いつも洋服を着ていてそのころの村では目立つ人でした。お話がじょうずで、村の発てんと村人の教ようを高めるために熱心に活やくしていました。(金子逸一氏談)
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