昭和51年(1976年)3月、西野第2小学校が開校しました。
そのころ福井地区から通う子は家から学校まで遠く歩いて通うことがたいへんだったので、バスで通う子が多かったそうです。はげしい児童の増加とプレハブ教室での不自由な授業を心配したPTAの人たちや役所は、西野地区の中でも人のふえ方がはげしかった西野第2地区に学校を建てようと、いろいろ努力し、その努力が実ったわけです。
西野小学校から773人の児童がうつり、21学級の学校でした。西野小学校の児童数は1300人へり、ようやくおちついて勉強できるようになりました。
校名は昭和50年夏に、母体校である西野小学校の家庭全体にアンケートちょうさして「学田」「西野西」「広島通り」などの校名があげられましたが、その中で1番多かった「西野第2」がつかわれるようになりました。そして昭和50年9月1日に正式にけっていしました。
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西野第2小学校校章 |
教育目標
強く明るい子
よく考える子
たすけあう子
校章のこころ
緑に囲まれた、すばらしい発展をしている西野を、太くたくましい「西」の文字であらわし、強い心でたくましく進む子どもたちが、すんだ青空に向かってどこまでも前進するようすを表しています。また、二本の銀の横線は、美しい西野第2の自然を表し、この地にたん生した西野第2小学校をお父さん、お母さん、先生たちが一つになってささえていることを表しています。
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