郷土の歴史

西野小学校  

 昭和47年(1972年)人口が急にふえたため手稲東小学校の子どもがどんどんふえ教室が不足してきました。とくに、に西野や平和、福井地区から手稲東小学校にかよう子どもの中には家が遠いためバスでかよわなければならない子どもが大勢いました。

 西野地区の人たちは、自分たちの地区に学校をと願い、西野小学校が開校しました。当時の児童数は810人で学級数は19でした。初めは体育館やグランドがなく、体育や遊びに不自由な思いをしていました。開校式も玄関でおこないました。ところが、次の年には児童数が1000人を超え、昭和50年(1975年)には1700人にもなってしまいました。この年一番の多かったのは、1923人でした。一つの学校に学校2つぶんの児童が通っていたいたことになります。開校した次の年から教室が不足し、プレハブ教室が8つもできました。プレハブ教室は夏は暑く冬はストーブをたいても寒いというそまつなものでした。西野地区の発展はってんによる児童数のふえ方がいかにはげしかったかを物語っています。

西野小学校校章
西野小学校校章

教育目標

 豊かな人間性を持つ主体的な人間の育成
1、健康な体
2、高い知性
3、豊かな情操じょうそう
4、強い意志

校章のこころ

  柔らかい三角形の全体形は、西野の右股左股の両主要しゅよう道路と発寒はっさむ川に囲まれた西野小学校の地理的な条件じょうけんと朝夕西野を見守る手稲山を表現した。

  三方を指す(西)は西野の西を現し、↑(矢印)は限りなく伸びる可能性を持つ子どもへの願いをあらわす。西の角形の字は、意志の強い人間にと願う心情を表現した。

 小は西野小の小を現し、円形は円い心と豊かな人間性をもつ子どもにとの願いをこめたまのである。

六方に広がる図形は、校歌にも歌われている希望の光を表現したもので子どもにかける夢を表現したものである。

西野音頭
  作詞・作曲 西野小児童会 西野小職員
   
1、 手稲の山に 囲まれて(囲まれて)
元気いっぱい 西野っ子(西野っ子 )
汗を流して かけまわり
はだしで 木のぼり 川あそび
※(みんなで みんなで 西野音頭を おどろうよ)
   
2、 発寒川は 輝いて(輝いて)
やさしさいっぱい 西野っ子(西野っ子)
心と心が ふれあって
虹の仲間の 大きな輪
※(繰り返し)
   
3、 タイムマシンに とびのって(とびのって)
夢がいっぱい 西野っ子(西野っ子)
明るい未来を つくろうよ
宇宙に とびだせ レッツゴウ
※(繰り返し)
   
  西野小20周年の折に製作

トピック
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  西野小学校
   
関連リンク
  札幌市立西野小学校(公式ページ)

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