福井地区にも都市化の波がおしよせ、苦労して作り上げてきた田畑がどんどん宅地になり福井地区の人口も急にふえました。西野地区の児童数がふたたびふえはじめ、福井地区にも小学校が必要になりました。
昭和54年3月、五天山のふもとに4階建ての近代的な校舎がたち、西野小学校から539人の子どもがうつりました。
ふるさとの太鼓「福井ばやし」に対して、「五天山ものがたり」は福井野小学校の太鼓です。「五天山ものがたり」は昭和55年に4年生の担任だった大屋勝利先生が子どもたちのために作曲した「福井野太鼓」やリコーダの曲を、五天山にまつわる伝説風の組曲にしたものです。朝早く学校の裏の五天山に登り、小鳥の声を聞きながら、発寒川と五天山とに守られているかのような福井の町並みを見おろし、こう想をねったそうです。太鼓、細ばち、リコーダーで演奏し、学習発表会の高学年の部の全体えんそう曲として毎年下級生に受けついできましたが、五周年の年からは、年に1度の太鼓演奏会に全校生でえんそうするようになりました。
教育目標
未来を開き、豊かな心を持つ子
- 生命を尊重し人間的優しさを持つ子どもの育成
- 困難に立ち向かっていく強い心と体を持つ子どもの育成
- 働く知性と豊かな情操を持つ子どもの育成
- 心を開き合いいつまでも続く確かな友情を持つ子どもの育成
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福井野小学校校章 |
校章のこころ
制定 昭和53年11月1日
デザイン 阿波昭三(初代校長)
全体の菱形は、希望の指針としての北極星を形どり、福の字を中心にして調和のある人間性と、その発展を願ったものである。
- 中心の福、中央の井形と、菱形の底辺で福井野の校名を表している。
- 4つの辺は、野の広がりと子供の希望の広がりを表している。
- 4つのペンは、学校教育目標と子供の創造的な意欲の発展をめざす。
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