かいたくしゃの人たちは敬神崇祖の念あつく、いじゅうみんは、あんじゅうのための心のささえとして、神をうやまい、せんぞをまつる行事を考えて来たのでした。
平和地区においては、自分たちの、じゅうきょをつくると同時にすうねんごには神社をつくり、出身地のことなる人たちがしんぼくを深めるために元旦参りや秋のしゅうかく感謝祭をにぎやかに年中行事としていたのです。
また、せんぞをまつるお寺については、法華宗の日登寺、浄土真宗の浄恩寺(共に琴似村に)明治の初めからあり、善男善女のお参りする所でした。また部落では部落くみあいをそしきし、不幸やさいがいのあったばあいは、いっちきょりょくして助け合いをして来たのです。
宗派は大別して法華宗が10数戸、浄土真宗が20数戸がじゅうきょして居り、共に講中をそしきし、毎月2回とうばんせいで、信徒の集まりをもよおしし、住職の読経法話等をきき、食事を共にしながら楽しい一日をすごし、報恩感謝のくらしをしておりました。
法華宗の人達は、明治時代からせっきょうじょを建て、20坪位の平家で昭和27年頃まで、講中の集会所として利用しておりましたが、ろうきゅうかのため、取りこわし、講中もかいさんしました。
浄土真宗の講中は現在も昔どおりの戸数がありますが、かいたく時代のようなあつまりはありません。説教所のあった場所は平和2条4丁目でした。
右股地域(現平和)のかいたくしゃたちがどのようにして、じゅうみんの、こうりゅうとしんぼくを、はかって来たかの、一たんをしるし、先人の労を知ることも、いぎがあるものと思いますので、きおくのままをつづりました。
平和町内
石井 輿三郎
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