郷土の歴史

古老の話 --- くまうちの話 ---

クマ むかし、福井や西野には、くまやおおかみなどの野生動物がたくさんいました。明治めいじ19年(1886年)には、くま18頭、おおかみ31頭をとり、しょう金534円をもらったという記録が残っています。加須屋市助 ・加須屋与三吉 ・父の橋本初三郎 などは、くまうちの名人として有名でした。

 昭和27年(1952年)3月、父が、くまうちがどんなにおそろしいものであるかを見せてくれるというので、わたしと弟は、鉄ぽう2丁を持って、えぼし岳(左股おく)に、くまとりについて行きました。父は、23ほどのくまのあなを知っていて、そのうちの1つに、前日のうちに、くまがとび出さないように、さくをめぐらしておきました。父と弟は、鉄ぽうをあなの方へむけてかまえ、わたしは、こぶしぐらいの太さの木で、あなをつつきました。くまは、おこりながら、すごい力で木をはらい落とそうとしました。何回かくり返すと、木は、ぼろぼろになってしまうので、そのぼうを3回ほどとりかえ、父は、11発の玉をうちました。くまはおこって、暗いあなの中で、目をらんらんと赤くかがやかせ、ほのおのような息をはいていました。弟は、おそろしさのあまり、こしをぬかして立てなくなりました。くまが目を光らせ、わたしたちの方にむかって来た時、父は、12発目の玉をくまの頭にうちこみました。くまは、たおれましたが、まだきけんなので、13発目を心ぞうにうちこみ、とどめをさしました。わたしたちが、くまをあなから引き出そうとした時、おくの方に、あのまっ赤にかがやく目が、まだ4つみえました。わたしは、心ぞうが止まるかと思うほどびっくりしました。父は、あなの中に、二股の木をさしこみ、くまの数を調べました。木はすごい勢いでおし返されましたが、2才ぐらいのくまが、2頭いることがわかりました。(くまは、1つのあなの中で、オス・メスの子ぐまが3才になるまで、母ぐまといっしょにくらすという。)わたしは、木の先にがんびをまき、それに火をつけて、子ぐまを前の方へおびき出すことにしました。子ぐまは、火を見ると、おこって、火を消そうと、前の方へ進んで来ました。そこを、父と弟が、鉄ぽうをはなち、しとめました。こうして、その日は、合計3頭のくまをしとめることができました。わたしたちは、とてもうれしかったですが、くまうちは、たいへんおそろしいものだということが、よくわかりました。

福井野小
橋本房太郎さんの話

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