明治30年(1897年)5月、盤渓地区に山火事がおきて、山林10町歩(10ヘクタール)ほどがやけました。我萬嘉吉が、そのやけあとに、あわをまいてみたところ、たいへんよくできました。これが盤渓地区でのさいしょの畑作でした。
明治43年(1910年)の春にも中ノ沢から山火事がおき、盤渓、小別沢いったいは、火の海となりました。人びとはにげばをうしない、土にあなをほって、子供をそこにかくし、上からぬれむしろをかぶせて身を守ったりしました。一ヶ月ほどもえつづけた山火事は農業のためには、かえって手助けとなり、この大きな山火事を喜ぶ者もあったということです。

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