福井地区に人が住み始めたころは細い道があるだけでした。ヘビが出たり雨がふるとカタツムリがたくさん出ることもありました。その後、ものを運ぶために馬車を使うようになったため、道もばしゃが通れる道はばになりました。ところが雨がふると馬のはらが埋まるぐらいどろんこの道になってしまいました。
明治20年(1887年)西野道路(二股から手稲東まで)が開通して農作物を市場へ運ぶのがとても便利になりましたが、福井から西の方面に行くには、どうしても発寒川をこえなければなりませんでした。そのためには、橋がひつようです。そのころの橋は、太い木を切って川に渡しただけのそまつなものでした。
そのうえ、この発寒川は、春先の雪どけ水や大雨の時には、よく洪水をおこすあばれ川でした。
古老の話:築山牧場のおじさんに聞く
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