安産 縁結び 厄除け 厄祓い 勝運上昇 「西野神社」

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年中行事と四季

私たちの周りを見渡すと、四季の中の年中行事には、祖先たちが日々の暮らしの中で守り伝えてきた神祭りの姿があります。特に稲作りを基本とする数々の祭りが、現在でも受け継がれている姿は、まさに日本の姿であり、私たちはこれらをいつまでも守り、子孫に伝えてゆきたいものです。

お正月

年神さま


年徳神(年神さま)は、私たちの祖先とも考えられ、その年の福徳を司る神様で、この吉神様を家庭に招き入れるためにお正月には鏡餅(かがみもち)を飾り、お雑煮(おぞうに)をいただきお正月をお祝いし年神さまをお祀りする。こうした習わしは、新米でついたお餅を神さまに供え、私たちもいただくことで稲に宿る魂「生命の力」をいただく意味がこめられています。お年玉もむかしは、お金ではなくお餅が使われ、”たましい”「玉」をいただくものでした。1月11日の鏡開きで鏡餅を手や槌で大切に割り開くのも、こうした信仰にもとづいているのです。

人日(じんじつ)の節句

七草(1月7日) この日は七日正月、七草の節句ともいわれ、春の七草で七草粥(ななくさがゆ)を作りお祝いします。これは一年間の邪気を祓い万病をよける意味で古代中国から伝わったものです。この頃、多くの地方で門松や注連縄を外し、この日までを松の内といいます。
※七草―せり、なずな、ごぎょう(母子草・ははこぐさ)、はこべら(はこべ)、ほとけのご(たびらこ)、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)

節分(2月3日頃)


立春の前日をいい追儺式(ついなしき)、鬼やらいともいわれ立春の前の晩に行われます。もともと立春を新年と考え、新年を前に、「鬼はそと、福はうち」の掛け声とともに行われる豆まきは、旧年中の罪や穢(けがれ)を祓うための行事であったといわれています。撒いた豆を年の数だけ食べるのは、年取りの行事の名残といわれています。

祈年祭(きねんさい)

この時期は、稲作りの始まる頃にもあたり、秋の豊作を祈る祈年祭(きねんさい)が皇室をはじめ、伊勢の神宮、全国各地の神社で行われます。また、お田植神事や田遊びなどの予祝行事(よしゅくぎょうじ 農作物の豊作を祈ってあらかじめ模擬をする行事)も広く行われます。

針供養(2月8日)

江戸時代初期に始まり、この日は針仕事を休み、折れた針を供養して、裁縫の上達を願う行事。 折れた針を、豆腐やこんにゃくにさして川に流したり、紙に包んで海に流したりします。

建国記念の日(2月11日)

神武天皇が即位された大和の畝傍山(うねびやま)に鎮座する橿原神宮(かしわらじんぐう・奈良) に鎮座された日。古えの神武天皇(じんむてんのう)の国の肇(はじめ)を思い、家ごとに国旗を掲げ、平和な国家を築いてこられた先人に感謝するとともに、わが国の永遠の発展を祈る日です。

上巳(じょうし)の節句(3月3日)


女子の健やかな成長を願う祭り。室町時代ごろ宮中や貴族の間で始まり、そして武家、やがて民間に広まったといわれています。雛祭りは、もともと紙や土で小さな人形を作り自分の罪や穢を背負わせて川や海に流した祓(はらえ)の行事であったようです。今でも、各地に「ながしびな」の習俗が残っています。古来、桃の花は邪悪なものを祓い清める霊力が宿るとされ、桃の節句とも言われます。

端午(たんご)の節句(5月5日)

古く飛鳥時代に中国大陸から伝えられ、日本のお田植祭の物忌(ものいみ)や祓の神事と結び付いたものとされています。菖蒲湯(しょうぶゆ)に入ったり菖蒲酒を飲んだりするのは、その強い香りや、先のとがった葉先が邪気を祓うと信じられ、武者人形もこれらの薬草で作った祓えの人形から始まったと考えられています。鯉幟(こいのぼり)は本来、お田植祭に神さまを迎えるために清めがすんだ家々の目印から発達したものとされています。

大祓・(おおはらえ、6月・12月)

宮中をはじめ伊勢の神宮や各地の神社で行われる半年間の罪穢を祓う式で、古くは国中の罪穢を祓う国家儀礼として行われました。特に6月の大祓は夏越祓(なごしはらえ)とも称され、茅(かや)でできた茅輪(ちのわ)をくぐり、紙の人形に息を吹きかけてわが身の罪穢を託し、海や川に流して半年間の罪穢を祓います。

七夕(しちせき)の節句(7月7日)


織女祭(しょくじょさい)とも星祭ともいわれ、子供たちの読み書き、手芸などの上達を七夕さまに願います。
古代中国の牽牛(けんぎゅう)・織女(おりひめ)の星伝説とわが国の棚機女(たなばたつめ 年に一度水辺のはた屋で神さまの訪れを待ち、神さまとともに一夜を過ごす聖なる乙女の信仰とが結び付いた行事です。この日は必ず雨が降るとも伝えられ、牛馬を水浴させたり、藁(わら)で作った人形を川に流すなど、水に関連する習俗が各地に見られます。

重陽(ちょうよう)の節句(9月9日)

菊を浮かべた酒を飲むことから菊の節句ともいいます。陽は「生」を意味し、陽(奇数)の最大数である9が二つ重なることから不老長寿を願う風習があります。

燈籠流し お盆

本来日本固有のみたま祭の行事です。迎え火をたいて祖先の精霊をわが家の盆棚(ぼんだな)にお迎えし、精霊花を供えたり盆踊りをして御霊をお慰めするとともに子孫の繁栄を祈願します。また盆の期間が終わると送り火や灯籠流(とうろうながし)しなどをして御霊送りをします。
なお、お盆は仏教行事と考えている方も多いようですが、もともとわが国にあった魂祭り(祖先の霊を祀る行事)に由来するものなのです。

社日(しゃにち)

春分と秋分に最も近い戊の日をいう。「社」は、産まれた土地の神様(産土神)をいい、この日産土神に参拝し春は五穀の種を供えて豊穣を祈り、秋は収穫のお礼参りをする。

秋祭り

秋祭では、その年初めての新穀=初穂(はつほ)を神さまに「ありがこうございます」の気持ちをこめてお供えします。神さまへのお供物を初穂と総称するのはこのことに由来しています。

お月見(旧暦8月15日)


仲秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)には、各地でお月見の行事が行われます。仲秋とは8月のことで、満月が15日にあたります。奈良時代に中国からわが国に伝えられたとされています。
平安時代、貴族の間では十五夜の満月をめでつつ詩歌(しか)や管弦(かんげん)を楽しむことが盛んになりますが、本来は豊作の象徴である満月に秋の七草やだんご、季節の野菜などを供えて、月をまつる神祭りの日であったと考えらます。だんごは、古くは日本の代表的食物で、ちょうどこの頃出る里芋(さといも)を炊いて供えたのが原型とされ、秋の名月を芋正月とも言います。また、すすきの穂を供えるのは稲穂の変化した形ともいわれています。

秋分の日(9月23日)

秋分の日をはさむ前後3日間、計7日間は秋の彼岸(ひがん)です。彼岸は亡くなった人を偲び、祖先の霊を供養する仏教行事としての印象が強いのですが、本来はわが国固有の祖先のみたま祭の行事です。またこの日、宮中の皇霊殿(こうれいでん)では秋季も皇霊祭(しゅうきこうれいさい)が行われ、天皇陛下が皇室の歴代の御先祖をおまつりになります。

神嘗祭(かんなめさい、10月15~17日)

伊勢の神宮で行われる天照大御神(あまてらすおおみかみ)に初穂を奉る(たてまつる)祭りです。
天皇陛下が御親ら(おんみずから)お作りになった稲の初穂をはじめ、懸税(かけちから、神さまにお供えする初穂)として全国の農家が真心こめて奉納した稲穂が内玉垣南御門(うちたま がきみなみごもん)に奉られます。

新嘗祭(にいなめさい、11月23日)

天皇陛下が天照大御神をはじめ神々に新穀をお供えし、御親ら(おんみずから)もお召し上がりになる祭りです。この日、伊勢の神宮をはじめ全国の神社でも収穫感謝の新嘗祭が斎行されます。

歳末

冬至(とうじ12月22日)

最も弱まった太陽の光が春に向かって力を増すと同時に、人の生命力も稲に宿る魂も生まれ変わるという日本古来の信仰があります。また冬至の日、かぼちゃやこんにゃくなどを食し、ゆず湯に入るのも、太陽の光の強い時季にできた野菜を神さまに供え、私たちもその力をいただくという意味です。

除夜(じょや、12月31日)

大晦日の夜を除夜というのは、眠らずに夜を明かす意味です。年神さまを迎えるために、静かに謹んでお正月を迎えるのが古くから大晦日の過ごし方といえましょう。また、年ごもりといって除夜に神社にお籠もり(おこもり)するところもあり、こうした習わしが年明けとともに神社にお参りする初詣のかたちとなったのでしょう。

西野神社

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