新しく天皇を中心として政府がつくられました。それを明治政府といいます。
それまで徳川将軍が住んでいた江戸を東京とよびなをかえて日本の首都(政治の中心がある都市)としました。大名や藩をなくして、新しい県にして知事を決めました。
また、これまで士・農・工・商という職業で人間に差をつけたものをやめました。四民平等といいます。
しかし明治政府に反対する人も多くいて、とうとう明治政府とあらそいを始めました。これを戊辰戦争といいます。1年あまりのたたかいでしたが、幕府側はかんぜんにやぶれて、明治政府にこうふくしました。このたたかいは、のちの北海道の開拓に深いかんけいを持つことになるのです。 明治2年のことです。
明治政府は、松浦武四郎の意見をとりあげて、「えぞ地」を「北海道」とあらためてよぶことにしました。
それで開拓の仕事をめいれいする役所をつくりました。これが北海道開拓使です。その初代の長官には、島儀勇がにんめいされました。
北海道には、北の方からロシアが、千島・樺太に手をのばし、北海道に近づいていたため、明治政府はことさらに開拓と北海道の守りの仕事を急いだのでした。
北海道神宮は、このロシアから北海道を守るために北のロシアの方に向かってたてられました。
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